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幸せについて

ヒタヒタに、お湯を張る。
それだけで良いとも悪いとも、この時点では決められない。

幸せだってそれと同じはずで、その時点で決まるものではないというか、決める決めないじゃなくて。
小さい幸せにだって、たとえば足湯だったり無数のドクターフィッシュが角質をつつくのを上から見下ろす時間だったりで。

水が勿体ないって言われても関係なく後頭部を伝うシャワーの温度が大好きで、それが只々、排水溝にながれるからと周りから顔をしかめられたって、偉そうな学者や占い師が地球環境を訴えたってそれをやめる必要は全然なくて。
でも、いつもそんな気分が続く訳じゃないから、何だか足りない気がして蛇口を開いて。
昔言われた「早くお風呂入りなさい」の声には、何だか逆らいたくて。
でも、その後が絶対に最悪なことばかりじゃなかった。
それでも最悪だったら、それを忘れてしまって、お腹が減った。

小さい「丸」に入るときは膝を抱えて、大きな「丸」が良かったら海パン履いて寝転んで。

湯船のフチで、お湯が表面張力で耐える形がプリンの角のようになる。
そこからゆっくりこぼれ落ちている液体が、シロップだろうがお湯だろうが決めるのは見ているぼくなのだから自由にしたらいい。
そんな水の中に浸っている。

その「丸」の中でする体育座りがとても温かく、すごく収まりの良い格好をしているなと幸せに感じる。
それを、恥ずかしがることなんて無いのさ。

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