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頭の中をザッピングする

「素敵な物語」は、現実との境界線を隠してくる。

それは魔法で見えなくするわけでも、言葉巧みに騙すわけでもない。
只々、想いを寄せた人が、プレゼントを後手に隠して微笑んでいるのを幸せを感じながら追いかけているような感覚だ。背中の陰からプレゼントの端っこは確実に見えているのだ。それを承知で、相手のされるままに境界線の上でダンスする。

わたしに「こんな物語を考えてみたい」と、はじめて思わせたのは海外ドラマのアリーmy loveだった。
そのときが初めてだった。書いてみたいでも、造ってみたいでもない、「考えてみたい」と思った。

20代前半のわたしは、ドラマや映画のストーリーをその場に流れているいい音くらいにしか思っていなかった。面白いとか、好き嫌いはあるにせよ、その場限りの「あーよかった」で片付けていたのだろうエンターテインメントを消費するだけの側で、境界線を越えたいと思わなかった。いや、境界線というものがあるという噂話を聞いただけで、実際にそれを見にすら行かなかった。

でも、アリーmy loveが変えてくれた。
登場人物の生活している世界がどこかに存在して、今行われていることはどこか遠くで実際にあるのだと、思えるほど没入させてくれた。

なぜそうなったかはうまく伝わらないかもしれないけれど、夢中になっていた。作り手のエネルギーなのだろうが、あるときは豪快に、またあるときはキラキラときれいな音をたてて、その得体の知れない何かがセリフや行動の細部にまで感じられた。

そうして、ついには「こんなに素敵なことを考える人たちがいるんだ」と、ぼんやり考えた。
それと同時にわたしの頭の中では、今まで見てきた映画やマンガの好きな場面や好きなアーティストの音楽、はたまた、実際に自分が体験したことや子供の頃のうっすらとした思い出なんかを思い浮かべている。そして、急に目の前に現れたルービックキューブをがちゃがちゃ回すように、何かを組み上げようとしていた。
その日の夜、目を閉じて眠りにつくまで空想のルービックキューブ遊びは終わらなかった。
でも、それが新しく覚えた楽しい時間の使い方だった。

結局、すぐに物語を構築できるほど甘くはなかったが、のちに初めて何とかそれらしいものが書けているときに感じた興奮たるや、ものすごいものがあった。

だから、いまでも物語を考えるのが好きなのは、間違いなくアリーのおかげだ。
わたしもいつか素敵な、境界線を隠せるような人に。



今日は、「#ハマった沼を語らせて」というスカパーさんの募集をみつけたので書いてみました。

では、また。


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