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ポエム・エッセイ

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ポエムのまとめです。わたしの頭の中は、こんな感じです。
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#時間

空模様

空が包んでいるのか、空と一緒に浮かんでいるのか分からないけど、勝手に僕らはその中にいる。 そして、好きなうたを歌って、美味しいものを食べて、誰かを好きになった。 その日の空はとびきり良くて、自分とセットで一日が造られる気さえするんだ。 でも空はいつでも、誰かにとってはとびきり良くて、もっとも悪くて。 勝手に僕らはその中にいる。 雲が動いて、僕らが動いて。 誰かの空を、今は見てる。

不毛な思いは、夢うつつで。

 タイムマシンができたとしても、未来には行けるが、過去には戻れないんだって。それから、人間が想像したことは、必ず実現できるんだってさ。そして、この2つは矛盾に満ちているようでそんなことは無い。みんな未来に本気で行きたいけど、過去に行くことに本気になれる人の数が少い、それだけなんだ。  時間を移動することは、ある時間を構成する成分を限りなく同じ状態で、他の時間で再現すること。この時間というものだって、誰かが思いついた考え方に過ぎない不確かなものだけど、その時間があるものとして

バス停

「待っててね」ってキミは 一緒に帰ろうと誘ってくれたのに あなたの望みを想像しなかったボクは ひとつ離して 椅子に座る 並んで歩く この道の 短い時間は好きなのに バイバイしか言えなかった キミの家があるバス停までは ボクのより ひとつ先なのに 夜を埋め尽くすのは星じゃないって知っていたのに それでも 夜空ばかり見てる 今日で最後の帰り道 じんわりと仲良くなんてならないと分かっていたのに きちんとボクの世界で一番を決めるべきだったのに ひとつ離して 椅子に座る

買い物はひとりで行く?

わたしは買い物に時間がかかる。 優柔不断。わたしの中ではそんなことはないのだが、一緒に買い物に行った人からそう思われても仕方がないくらい悩む。仕方がないのだ。 わたしはメンドクサイ人間だから。 そんなわたしの買い物の心構えはこうだ。 あまり店員の能力を過信してはいけないし、能力はあるのかもしれないが気持ちが崇高だとは限らない。とりあえず、これは絶対。 この場合の崇高とは、本当に好きなものを売っているかだ。 こんな風に考える「優柔不断さん」は、わたしだけではないと思いたいけど

マス目のなかで過ごしてる

瞑った瞼の上に、揺れるまつ毛の影が見えた気がした。 いつも通りに眠い朝。 水を一口飲んでから、出かける準備をはじめる。 スマホとカギと。 一緒に、お気に入りの詩集をカバンに滑り込ませる。 なぜだか、朝に少し逆らった気がしてしまう。 それから、お気に入りのコートを羽織る。 コートの袖は、自由へ向かう扉。 コンコンと、扉をたたく。 今日も、自由にノックして入る。 休みの日なのに身体が覚えた時間に目が覚めるのはイヤだ。 自由に休日出勤しているような気がしてしまう。 自由が何

焚き火はルールを守ってやりましょう

優しさに触れていた気がした ひとりになって 半年たって 雑音だと思っていた音の中に 優しさも入っていたかもしれないと 誰かと一緒にいるときだけ 優しさに触れる可能性がある 思い出の中にもたしかにあるが それは経験した優しさの温度を 身体が覚えているから あたたかくなれる だけど最初の優しさは 誰かと一緒に火をおこさないと駄目なんだろう 薪を焚べるひと 風を背中で遮るひと ただ隣で座るひと 誰かの優しさがあたたかな火をおこす だから ひとりだ

オセロにだって流れはある。

収納から断捨離で、それからミニマリストとコスパ。そういう感じで意識にも流行があるらしい。 そう、だから最近は「白」が劣勢らしい。黒いほうが余計なストレスがない人もいるみたい。そして、複数必要なときこそ同じ色で揃えたほうが良い。 柄がバラバラじやなくて、同じ黒いTシャツ、同じタオル、同じ箸を何本も買っておく。探す必要もないから、効率が良い。その通りだ。 元から綺麗な白にできる人はいいけど、できもしないのに「白」の意識だけを共通認識とされる世界は、ダラしないとされてきた方からす

新鮮が長続きしないのは、熟すからだ。

時間の感覚は、残された余命によるという記事をみた。 これに同意できるかはさておき、たしかに子供の頃と比べると不思議な感覚だ。 自分の周りが世界の全てで毎日遊びに行くといったとて、学校が終わったあとの5時まで。2時間もない。 それでも、そこにすべてが凝縮されていて、毎日がそのためにあるような日々に頭まで浸かる。楽しい時間はすぎるのが速いというけど、その速さを気にすることすらないくらい楽しかったのだろう。もう終わりかなんて思ったことはなかった気がする。 いまはどうだ。スマホを

お肉が食べたいから、焼き肉する。

レゴブロックで造ったロボット。 お菓子の空き箱で造った怪獣。 どちらも等しく大事だったのは一瞬で、完成品の玩具が欲しくなった。 太陽のせいで暑いなんて思ってないころから、風が涼しいのは知っている。 時間の使い方を考えているうちに、時間の埋め方が上手くなってしまったから、多分、疲れるんじゃないかな。 過ぎ去る時間が怖い。 なのに、どうしてかゆっくり流れる隙間の時間を無くそうとする。 人間以外の動物は、賢い。

プラスイオンって、あるの?

年々熱くなるらしい地球で、生きているのか、生かされているのか分からないけれど今日も晴天だ。 この暑さを凌ぐために木陰を借りた。 この木も地球に生かされているのかと見上げる。だけど、返事がないのか、木の話す言葉が聞き取れないのか、それすら分からない。 地球に根を張り水を吸い上げるのも、日光を受け止められるように葉を広げるのも僕のためじゃないだろうけど、仮に僕の為だとしたら随分と恵まれた動物だ。多分、違うだろうけど。 たまに遠くの緑を見ると目に良いらしいし、何百年もの樹齢

発明家の誤算。

デジタル時計の発明は、人類にとって大失敗だ。 たいていの電子機器に付けられるところも、被害拡大の要因だろう。 PCやスマホにはもちろん表示される。しかも見やすい場所に表示される。 作業しながら「チラッ」、知り合いとの会話中でも「チラッ」っといった具合に。知らず知らずのうちに時間という共通のプールのなかで遊ぶことを強要して、気が付いたころには「海」は怖いところだと刷り込まれている。 でも、本には付いていないし、映画館で見る映画にも表示されることはない。だからこそ、思考を分断

嫌な世界からは逃げる準備を。

誰かに「おやすみなさい」と言って貰いたいだけなのかもしれない。 アプローチの仕方がもうすこし違ったならば、興味も沸いたのだろうか。 好きなことをやっているナルシストが、一番幸せである。 昼は天才でいられても、夜をうまく閉じられなければ憂鬱な時間が増えてしまうから。 べつに気にするな。 全ての世界がつながってはいないのだから。

実際よりも少し先にいたようです。

時計の針は、もっと重いものだと思っていた。 その時、そのタイミングだけ進むことが許されていて、それ以外は何かを壊してしまうほどの力が必要なんだと。時計に歯車が使われていることは知っていたから、その歯車たちが軋むほどに尋常じゃないパワーとなにか壊れてはいけないようなものが壊れてしまっても構わないという覚悟のような思いとで、放っておいても一秒後に進む未来を無理矢理こじ開けなければ持ち上がらないものなのだと錯覚していたらしい。 クッカカカッ。 聞き慣れない音。軽い。 音のする方に