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ポエム・エッセイ

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ポエムのまとめです。わたしの頭の中は、こんな感じです。
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#自分

バス停

「待っててね」ってキミは 一緒に帰ろうと誘ってくれたのに あなたの望みを想像しなかったボクは ひとつ離して 椅子に座る 並んで歩く この道の 短い時間は好きなのに バイバイしか言えなかった キミの家があるバス停までは ボクのより ひとつ先なのに 夜を埋め尽くすのは星じゃないって知っていたのに それでも 夜空ばかり見てる 今日で最後の帰り道 じんわりと仲良くなんてならないと分かっていたのに きちんとボクの世界で一番を決めるべきだったのに ひとつ離して 椅子に座る

宇宙人なんかいなくてもいい〔詩〕

今すぐに走って部屋を出て 太陽の時間が終わるまで  目一杯 季節楽しむのは セピア色を取り戻したいからじゃない スズメたちには ゴメンだけど キミたちのことは構ってられないの 自分勝手をいうようだけど はやく私の景色になれ 音も 風も この世界も 全部 私のためのもの そんな全体個人主義でみんな生きていれば きっと楽しくまわるって 好きだった人が言ってたから 私だけでも騙されてあげるって思って それは性善説を信じてる  お人好しを好きになった過去の自分のせいだから だから 

そういう関係

「誰のことも信じれない」と言った人がいた。結局、最後に信じれるのは自分自身だけだと。 たとえ嘘をつく人がいても他人を騙す人がいても、自分だけを信じていれば世界を信じているのと変わらないとも言った。 見えている世界は人それぞれで、傷付かないように心を守るか名誉や財産を守るか、そのバランスも人それぞれ。 傷は痛いから、悪いのか。 悪いこととは、良くないことすべてであって、悪いことすべてが禁じられ近寄るべきではない「悪」なのか。 そして、悪が傷つけたものが後に副産物をもたらしても

青木真也さんのファンになる

「存在の奪い合いがしたいんですよ」 そう話す青木真也さんの話がが興味深かった。 VOICEという音声配信メディアをたまに聞くのだが、伊藤羊一さんと青木真也さんが対談していた。 二人について、わたしは何も知らない。青木真也さんが格闘技をしている方ということだけ、辛うじて知っているのだが、それでも面白く思える内容だった。 「命賭けてる」と言うことが嫌いだという。それはなぜか。格闘技は命なんて賭けてるないからと、話す彼の言葉には嘘がないように思える。 わたしも子供の頃、武道を習

「それ」の単位はまだ無い。

満足感は、自分のためのものか。 勝手な思い込みなのかもしれないが、そんなものは個人的な印象や感覚としてだけの存在なんだと思っていた。 だって世の中には、満足感を高めようと呼びかける声に溢れているから。 あたかも「それ」は、あなたの、そして私の気持ちひとつで素敵なものに昇華できるんだという気にさせる。 でも本当は満足感を作り出し、コントロールしている側はしっかりといる。 それも、たくさん。 意識してみる。 そうすれば、次第にコントロールできるのかもしれない。 とりあえず、

バイバイ。

誰かに依存するというのは、ある種、思考のシンプル化ができて楽。 いつのまにかそれが常となり、疑問さえも消えていた。 消していたのかも。 でも、今はすこし進んでみて一人を作ってる。 孤独とは違うようだ、今の処は。 一人でいると、自分の周りに殻のようなものが出来上がっていくように感じている。それは単なる防御壁というだけではなくて、自分の殻であり、フォルムであり、想像の道をあるく靴であるようなもの。そんな、にわかには信じ難いものが確実に組み上がってくる感触が、今はある。新しく出来

ぼくは冷たくて構わない。

人の努力を「運だ」と言いやがる輩らが近くにいる。本人は、世間話か優しさなんかだと思っている。だから、たいした理由もなく、よく分からないからとブレーキをかけたがる。そして、世間でよく行われているような「願掛け」をしてからなにかを始めさせようとしてくる。だから成功すれば願掛けが効いたことになり、失敗すれば貴方の努力が足りないか見込みが甘いなどと言ってくるのだ。 さらにこの手の輩は、人にやってもらったことも自分が達成してきたことのようにカウントして生きている事が多い。だから貴方がア

自分で考えて、自分で好きになる

今年は、「ミドリ」に決めた。 これは、絶対そうなるのである。 その「ミドリ」がどんな濃さで、どんな艶をしているかは、私の中にしっかりイメージできている。 いつからか忘れたが、「今年の好きな色」を決めるのが好きだ。 好きな色なのだから、何かのきっかけで好きになってから、それが「好きな色」として定着すると思う方々が、残念ながらいるだろう。残念ながら。 それは違うと、ハッキリ言う。 これに関しては、「私の場合は」などと弱気にはならない。好きな色は、自分で決めるものなのである。変