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ポエム・エッセイ

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ポエムのまとめです。わたしの頭の中は、こんな感じです。
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#新生活をたのしく

空模様

空が包んでいるのか、空と一緒に浮かんでいるのか分からないけど、勝手に僕らはその中にいる。 そして、好きなうたを歌って、美味しいものを食べて、誰かを好きになった。 その日の空はとびきり良くて、自分とセットで一日が造られる気さえするんだ。 でも空はいつでも、誰かにとってはとびきり良くて、もっとも悪くて。 勝手に僕らはその中にいる。 雲が動いて、僕らが動いて。 誰かの空を、今は見てる。

誰のものでもない

 夏と冬が行ったり来たりする空と、それを鬱陶しく感じ始めた4月の朝。「雪以外なら、なんでもいいよ」と言った日が、こんなにも恨めしくなるとは思ってもみなかった。今日は30℃、昨日は17℃。エアコンでも、そんな極端な設定にしない。  休日出勤を終えたら何をしよう。映画館に行きたいなと、朝から1日の終わりを楽しみにするのが習慣になってしまっている。もうすぐゴールデンウィークだけど、暦通りの飛び石連休。特に予定を入れることもない。ニュースで見る楽しそうな人間活動は、あくまでもテレビの

身体を意識して動かすのは難しい

 寝る前にヨガマットを広げて、硬くなった体を曲げる。気持ちいい。  運動は苦手な方だけけど、柔軟性があるということがその劣等感のようなものを和らげていたけど、それは昔のこと。つっぱる身体の裏側と関節付近の筋たちの泣き顔が手に取るようにわかる。  なるべく、今見ている動画のインストラクターが言うカウントで呼吸をしようとしても、膨らむお腹の皮すら抵抗してくるから上手くいかない。さらには筋が吊りそうな感覚の手前でなんとか姿勢をキープしようとすると、身体が力み、動画から聞こえる「ゆ

起きるイベント

 肌寒さに起こされて、カーテンの外の曇り空を一応確認してみる。顔を洗う水は、まだ冷たかった。そして、予約時間を間違えた炊飯器が残り45分のノンレム睡眠。慌ただしい一週間が、そんな感じで終わりに近ずく。  恐らく天気のいい週末。使った頭の中をほぐすには、睡眠よりも適度な散歩が良いと思い、運動用のウエアに着替え外に出た。  速乾性の上下のウエアは風で飛んでいきそうなほどに軽い。これで2千円くらいしかしないなんて企業努力の賜物だと関心しながら、朝3番か、4番の伸びをした。シャカシャ

証明できなくても

 シンクから普段聞かない高い音がして、恐る恐る覗きに行く。このときの「恐る恐る」は、べつに不気味に感じたのではなくて、音の種類からして何の音かは想像できていたから、「え? どこか故障したか?」という面倒臭いことを懸念した恐る恐るだ。 ……ぴちょん。  シンクに置いた小皿に、蛇口から水滴が垂れる。小皿が渇いて汚れが取れなくなるといけないので水を溜めておいたから、そこで水と水滴が衝突する音だった。まえにテレビ番組で見たことのある、グラスに入れる水の量を調節して音楽を演奏したり

許されるなら、なみなみと

 湯呑みが、必ずしも適量のお茶で満たされるわけではない。7割か、多くても8割入れたところで一杯とするのが普通だろう。    鞄はどうだろう。  なぜか、たくさん入れたくなる。入れたまま出さないかもしれないノートや持っていると安心するお気に入りの文庫本。着替えのTシャツ、靴下。もしもの時の絆創膏。なんでもかんでも入れて安心する。  写真も似ている。  画面いっぱいに記憶を書き込む道具。端っこの角のところまで、しっかり思い出が入る様にシャッターを押して。  それをスマホにいっぱ

緑化

 自然と春は軽くなる。  昨日、コートは仕舞ってしまったから、それだけでも通勤の荷物が減った。車の助手席がスッキリしているのが嬉しい。  いつもの住宅街を大通りに出るところに、見たことのない男性が立っている。朝7時過ぎ。横断歩道のところで、「横断中」の旗を持って、落ち着かないような素振りで誰かを待っている。だれかのお父さんだろう。  私の車が側に近づく音で、すこし顔をこちらに向けて安全を確認する。私ができることは、普段よりスピードを落とし通り過ぎることだけだ。  そのお父さん

ブルーベリーレアチーズケーキ

ブルーベリーの乗ったチーズケーキが好き 並んだ青黒い球 紫色の汁で汚された白色が 赤くなる ブルーベリーが転がらないから好き 薄く張ったシロップ へこんであげるチーズ ミントのリボンを付けたホイップは最後まで見守ってる 隠したつもりでも おしりを汚してるのが好き ケーキシートについた最後のクリーム 食べ終わるまで あんなにすまし顔なのに でも それが可愛いってこと 珈琲の中のボクと目を合わせて 微かに笑った 男のボクは こうやってケーキを食べる たぶん 今くらいのときが

ひとつの趣味です。

料理の動画を見るのが好きだ。 でも美味しそうと思うこともあるが、「これは飯テロ動画だよ」というお腹減ったなという気持ちには不思議とならない。そういう気持ちになるのは、どちらかというと誰かが食事している動画である。 では料理の動画はどんな気持ちになるかというと、綺麗だなとか格好良いなという気持ちに近いように思う。絵を描いている人にも近いのかもしれない。それかミュージックビデオ。 野菜を持つ手の動き。カットされた野菜の形の均一感。周りにあるその人のキッチンに配置されている道具。沸

バス停

「待っててね」ってキミは 一緒に帰ろうと誘ってくれたのに あなたの望みを想像しなかったボクは ひとつ離して 椅子に座る 並んで歩く この道の 短い時間は好きなのに バイバイしか言えなかった キミの家があるバス停までは ボクのより ひとつ先なのに 夜を埋め尽くすのは星じゃないって知っていたのに それでも 夜空ばかり見てる 今日で最後の帰り道 じんわりと仲良くなんてならないと分かっていたのに きちんとボクの世界で一番を決めるべきだったのに ひとつ離して 椅子に座る

水曜日をのりこなす

 あくびを噛む朝。静かな部屋と窓の外に、カラスと野良猫くらいは鳴いていた実家の静かな朝を思う。ニュータウンと銘打って数年前から開拓されている住宅街には、おせっかい者は住みつかないらしい。換気の為にアパートの窓を少し開ける音さえも、シーッと人差し指を立てていた。  朝食の準備をする。  上品に沸騰するお湯と、下品に回る簡素な換気扇。  投稿サイトで"BGM”と検索して出てきた音楽を選び、ヘッドフォンで耳の中に閉じ込めてから、トイレに向かう。素足で歩くフローリング。  足音の無

頭の中をザッピングする

「素敵な物語」は、現実との境界線を隠してくる。 それは魔法で見えなくするわけでも、言葉巧みに騙すわけでもない。 只々、想いを寄せた人が、プレゼントを後手に隠して微笑んでいるのを幸せを感じながら追いかけているような感覚だ。背中の陰からプレゼントの端っこは確実に見えているのだ。それを承知で、相手のされるままに境界線の上でダンスする。 わたしに「こんな物語を考えてみたい」と、はじめて思わせたのは海外ドラマのアリーmy loveだった。 そのときが初めてだった。書いてみたいでも、