いまは進めなくても、それは永遠じゃない ~思考制止~

だいぶ動けるようになってきた。
メールといい、本といい、論文といい、なにがしかの文章を読もうとすると脳みそがフリーズして眠くなってしまうのは相変わらずだけれど、家事や身仕舞いのたぐいは、ゆるやかにではあるが比較的滞りなく行えるようになってきた。

こうした思考の緩慢さや体の重さは、何も初めて感じるものではない。
中学生頃から学生時代にかけて、そして、働き始めてから最初の3、4年は、同じような重荷を背負いながら、日々気力を振り絞って動いていた。
いまにして思うと、「よくやっていたなぁ」と呆れ半分嘆息するわけだが、あの頃のわたしは、誰かに助けを求めるすべを知らず、また、助けを求めることそのものに非常な勇気を必要としていたのだから、仕方がない。
以前書いた言葉を持ち出すなら、適切な援助希求が困難だったわけだ。

こうした思考の障害は、抑うつ状態によくみられる症状で、思考制止と呼ばれている。

思考制止(思考抑制)

思考制止は、うつ病や、双極性障害のうつ病期によく見られる、抑うつ状態に特徴的な症状だ。
しばしば「頭がうまく回らない」と表現されるように、思考抑制状態においては、思考の進み方はひどく鈍い。
このため当の本人は、「考えが浮かばない」、「考えがまとまらない」、「集中できない」、「決断ができない」などの自覚に悩むことになる。

健康なときには、特に意識せずにできていたこと。
明日着る服を選んだり、夕飯に何を食べるか決めたり、電話の受け応えをしたり。
そんな些細な日常のあれこれが、うつ病になると途端にむずかしく感じられ、思うようにできなくなるのは、この思考制止という症状によるものだと考えられている。

わたしも、今回の抑うつエピソードを生じた当初は、まったく身動きできないまま気づくと1、2時間経過している、なんてことを繰り返したり、あんぱん1つを食べるのに、1時間以上を費やしたりしていた。
とても困った。このままでは日常生活がままならない。

あまり良い言い方ではないけれど、わたしはそんな自分自身に対して、「随分と非実用的な人間になってしまったなぁ」という感想を抱いた。
他人に向けてこんなことを言ったなら、眉を顰めるどころの話ではないので、改めて書いてみても、やっぱり良い言い方ではないな。反省。

まぁ、そんな物思いはさておき。
思考制止は見た目には地味だが、それでいて中々やっかいな症状なのだ。
だが、それ自体悪いことなのかといえば、それはまた話が違うようにも思う。

思考制止は「悪い症状」か?

精神疾患に限らず、病気になると、色々な症状が現れる。
その中には当然、「その症状自体が体や心に害をなす」好ましくないものもあるが、実のところ、「それ自体は特に実害はない」症状というのも少なくない。

たとえば、風邪をひいたとき。
熱が出たり、咳や鼻水で苦しんだり、関節が痛んだりと、わたしたちは多彩な症状を体験することになる。
だがこれらは多くの場合、放っておいてもさしたる害はない。
もちろん、何事も程度問題だから、咳や鼻水が苦しくて寝付けなかったり、40℃を超える高熱で組織傷害や体力の消耗が懸念されたり、という場合には、それぞれの症状を落ち着かせるために薬を用いることになる。
けれど極論、そこまでの状態でないならば、たっぷりと水分を摂ってよく寝ることが、一番の治療だ。

翻って、思考制止について考えてみると、これは心を損なう原因ではなくて、損なった結果だ。
思考を働かせるための神経伝達物質が枯渇してしまって、頭が回らない状態。
場合によっては、過剰な自責感などの悲観的思考がノイズとなって、建設的な思考を一層難しくしている場合もあるかもしれない。
これは例えるなら、交通渋滞で流れの悪くなった道を、ガス欠でいまにも止まりそうな車で進んでいくようなものだ。

思考制止は抑うつの結果であり、「休め」の合図だ。
悲観的思考の最中にいるとき、ともすれば、己の不甲斐なさや周囲への申し訳なさで、焦りばかりを募らせて更なる無理を重ねてしまいそうになる。
だが、充電が切れかかった状態でできることなど、知れている。

動けないときは、止まるべきときで、休むべきとき。
休んで、しっかりと充電をして、そうしたらまたいつか動き出せる。
安心していい。そのいつかはちゃんとくるから。
焦らなくてもいい。

何度も何度も、そんなふうに自分に言い聞かせている。

蛇足: 思考途絶

ちなみに、よく似た言葉に思考途絶というのがあるが、これは統合失調症に特徴的な症状。

文字通り、思考が急に途切れてしまうため、話している途中で急に黙ったり、かと思えば急に再開したりする。
思考制止では本人も自覚があるのに対して、思考途絶では「なぜ黙ったか自分でも分からない」と、本人には自覚がないことが多い。

言葉面は似ているが、まったく別物。
国試で出たら確実に拾いたい、チープな引っかけだ。

……うん、本当に蛇足だな。

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