雨が降ると重力に負ける。
と言っている今日は雨は降っていないのだけれど、朝から重くのしかかる曇天にやられて、一日の半分以上を床に転がって過ごしていた。
眠かったわけじゃない。
ただ、起きて何かをする気力がなかった。
本を読んだり、Youtubeを見たり、Twitterを眺めるのも無理。
トイレに行くことすらひどく億劫で、やる気と膀胱のせめぎ合いを俯瞰したり(ビロウな話で申し訳)。
食事を摂るのももちろん面倒で、しかしせめて血圧と血糖値は上げようと、水を飲んだり塩や砂糖を舐めたり(結局膀胱の限界に負けてトイレに行き、その帰りに持ってきた)(基本的に低血圧で(朝だと上が70くらい)、低血糖もしばしば起こす軟弱者である)。
それでも、こんな無為な時間を過ごしても、積極的に死にたい気分にならないのは大いなる進歩だなぁ、と思う。
物心ついてからこっち、人間というのは、常々うっすらと死にたい気分の中にいるものなのだと思っていたけれど、それはどうやら違うらしい、と身をもって知れたのも大いなる学びだった。
主治医には、「(死にたいのは)当たり前じゃないですよ!」と叫ばれたけれど。
実は一週間以上前、薬を少々減らした。
主治医にはえらい心配されたけど、「先生の方がよく知ってるだろうけど、一度ジスキネジアが出ると中々治らないから……」ということで、一年を超えてお世話になった(当時の私には著効した)一剤を、一旦止めてみようということになった。
中止にあたって注意されたのは、「何か」あったらすぐに連絡するように、ということ。
この場合の何かというのは、気分が不安定になったり極端にうつになったり、それこそ死にたくなったり、ということだろう。
「何か」あっても人を頼ろうとしないことにかけては定評の(?)あるわたしなので、きちんと援助を求めるように、ということについては、随分としつこく言われた。
現在は一時的にストップしている個人的な連絡についても、「死ぬよりはいいから」と、必要であれば躊躇うなかれと繰り返す念の入れよう。
で、結果的にどんな感じになったかというと、冒頭に戻る。
まぁでもこれは極端な例で、気合いという名のスイッチを入れればもっと頑張って活動できるし、仕事にも精神分析にもこれまで通りちゃんと通っている。
今日も、夕方にはもそもそ起き出して簡単な食事を摂り、いまはこうしてnoteも書けている(えっへん)。
心配された「何か」はなかったけど、なんともなくはないかな?
やっぱり薬は効いてたんだねぇ。
まぁ、そんな感じ。
薬を飲むのをやめた当初は、効果が切れはじめた2、3日後から、軽い頭痛と気分の落ち込み、イライラが現れ。
なんとなくやる気が出ないなぁ、と、ぼーっとする時間が増え、そのうち起き上がれずにぼーっとする時間が増え。
でもそういった変化も、たぶん半分くらいは梅雨のせいなんだと思う(調子が悪くなったのは梅雨入り前だったけれども)。
なので、お薬減らしてからの状態にからだが慣れて、梅雨が明ける頃には、きっといまよりも元気になっていることでしょう。
……と思えるくらいには健全な精神状態だったから、連絡しなかったんだぜ、主治医?
(便りがないのはよい便り、と思ってくれているといいのだが)
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※ 薬の効能や副作用には、用量や疾患による違いや、個人差があります。
というわけで、ここでは敢えて薬の名称は記載しませんでした。
ご自身の飲まれているお薬や治療方針についてのご不安・疑問点は、まずは主治医の先生にご相談されてくださいね(私も、精神科領域は専門外なので基本主治医にお任せです)(でも、そもそも「安心してお任せ」できる主治医を探すのが大変なんだよ、てのもよくわかる……)(私も最初地雷踏んだし)(正直医者でも、一緒に働いたことない先生の良い悪いはようわからん……とりあえず現場からは以上です)。
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