パッとしなくていい

「理想としてはね、人生の最後に『なんかパッとしない人生だったけど、まぁ悪くはなかったなぁ』と思うくらいの境地がいいんですよ」

どういった流れだったか、なんというかまぁそんな話になった。
そうだ、確かはじめは、気分について話していたのだ。
朝、目覚めた時の気分について訊かれて、「まぁ、ぼちぼち。訳もなく悲しいこともあるけれど、うっすら明るいこともある」と答えたら、彼が紙とペンを出してきて、グラフめいたものを書き出して。そこから流れ流れてなぜだか死に際の言葉にまでたどり着いた。

主治医が説明したかったことを要約すれば。
気分の落ち込みで困って治療している人は、大体が「調子がいい状態」を目指そうとする。でもそれは危ない。
頑張って、頑張り過ぎていい状態に持っていくと、そのあと必ずといっていいほど落ち込む。そうやって上がり下がりを繰り返す。

一番理想的なのは、良い状態と悪い状態の境目があったとして、その線に「当てない」くらいの塩梅を目指すこと。
良い状態に限りなく近づけていくけれど、当てない。
「そう悪くもないけどなんかいまひとつ」くらいの、やや低め安定でずーっといく。それが理想で、気分の乱高下を避けるコツ。
そんなことを、下のような絵を描きながら、そこそこのテンションで彼は語っていた。

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「みんなどうしても『パッと』させたくなるんですよ。でも、人生なんてパッとしないもんですよ。それでいいんです」

そのまま人生の方にまでスライドしていく話に、「パッとさせようとしてたかな?」とわが身を振り返ってみたりしつつ、なんだか、新鮮な心軽さを味わっていた。
気づいていなかったけどなるほど、価値や個性を求める自他の声に、知らず知らずわたしは、疲れていたのかもしれない。

無価値なままで生きていくこと

コロナ禍で多くの人が経済的に困窮した2020年。
支援の要否や各事業者・個人の責任が云々される中、「弱くても幸せに生きていい、というのがそもそも人権では?」と思う場面が、少なからずあった。
そしてそう思い巡らしながら、それは何よりも、わたし自身がかけて欲しかった言葉だったことに気づいた。

わたしはこれまで、それなりに有用な人間として生きてきた。
世渡りに不器用なところはあったけれど、幼い頃から周囲にあまり大きな迷惑もかけず、勉強も仕事もそこそこにこなしてきて、自分の能力をそこそこ社会に還元してきた。
ストレスフルな環境や素早い判断力が求められる状況、重い責任感がのしかかる場面でも、落ち着いた振る舞いで冷静に対処してきた。気分や体調の波に左右されることなく、与えられた仕事は安定して素早く片付けてきた。
見かけによらず「強い」「タフ」といわれることもあったし、「優秀」と評価されることもあった。
それはありがたいことだ。だが、嬉しくはなかった。
ありがたい、と理性で思うだけで、感情は動かなかった。

だってわたしは別に、強くも優秀にもなりたくなかった。
弱くてムラっ気の強い、不安定なわたしのままでは、生き抜けなかったから。
弱いわたしのままでは、無価値なままでは生きることも、生きていていいと思うこともむずかしかったから、強くなろうとした。
すべてはその結果でしかなかった。

もちろん、どう生きてきたとて、自分の未熟さに悔しさを感じ、それなりに成長してきたのだとは思う。
けれど、弱い自分のままでもいい、と認めた上での成長と、その存在意義を否定して作り上げた強さとでは、意味が違う。

いつかわたしが年老いて。
あるいは、事故や病を得て。
いままで通りの「有用さ」を失ったら、わたしの心は生きていかれるだろうか。

そう考えた時、じわりと苦く自嘲が滲んだ。
そうして思った。
弱いままでも生きられるようにならなければ。
何もなくても、無価値なままで生きていける自分になりたい。

それが2020年、わたしが得た一番重くて、強い決意だった。

冴えないわたしでいい。

「パッとしなくていい」というのも、根底に横たわる哲学はこれと同じものなのだと思う。
ただ、この言葉の持つベクトルは、社会よりも多分に、自分自身を向いている気がする。
そうして「無価値なままで生きていく」という決意が、どこか悲壮感も伴って感じられるほどに肩に力が入ったものなのに対して、こちらは随分と気楽だ。その気楽さがいい。

価値なんてなくていい。
パッとしなくていい。
何者でもない、ただのあなたでいいんだよ。

そういうことを、たぶんはわたしはずっと、誰かに言ってもらいたかった。
やさしいと、聡明だと慕ってもらうことは、とても嬉しいことだけれど。人間的に見るところがなくなれば、わたしはひとりぼっちになってしまうのかもしれないと。
友人達をそんな薄情者だと思うつもりはないのに、幼い頃から刷り込まれてきた考え方が、ふとした隙に心にそんな虚しさを呼び込む。
そういう自分を振り切れる、魔法の言葉がほしかった。

何か劇的な感動があった訳じゃない。
でも、「パッとしなくていい」と力説する彼の姿は、心の奥深くに隠し持っていた傷に、じわりと沁みて。
なんだかふわりと、気持ちが軽くなった。


うん。パッとしなくていい。
だから、パッとしないままで。
何者になるためでもない、ただのわたしのままで積み重ねていく時間を、今日もぼつぼつ過ごしていこう。

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