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双極2型の普通は「うつ」

どうもこんにちは、生きてます。
更新、というか、noteを開くの自体がすっかり月一の行事になってしまっているな……

薬を一剤減らしたら動けなくなったよ、というのが前回の記事だった気がするけれど、あの後結局どうなったかというと、減らした薬を一旦元に戻しました。
で、そしたらまた動けるようになった。
なんともまぁ、わかりやすい。
とりあえずしばらくはこの量で継続してみて、落ち着いたところで今度は減量にトライしてみるか、という方針に相成りました。

薬が一剤でも減るのは嬉しいもので、喜んでいたのだけれどね。
こればかりは身体のことだから仕方がない。

そして今回学んだのは、
「うつの人はいわゆる『普通』の状態が標準状態だけど、
 双極2型の人はいわゆる『うつ』の状態が標準状態なんですよね〜」
ということ。

今回の私の場合は、継続していた他の3剤のおかげで、そこまで不安定にはならなかったものの、中止した一剤が頑張ってくれていた分の「底上げ」がなくなったから、ガッツリ落ちて動けなくなったよ。
ということだったみたい。

「うつっていうのはね、身体の病気なんですよ。寝れなくなったり食べれなくなったりお風呂入れなくなったりする身体の病気なの」
というのは主治医が度々言ってることだけれど、
いや、ホントそうっすね。と、今回の一件で改めて感じた。

しかしなぁ、あれが標準状態というのは困るなぁ。
(いや、他の薬は残っている状態だったから、本当の底はもっと深いのか?)
正直、治療をはじめる以前の私は確かに日々そんな感じで、布団から鉛のような体を持ち上げ、玄関までの大いなる道のりを踏破するために、多大なるエネルギーを使っていたわけだけれども。
そして一剤中止していた間も、仕事に行く時は気合いでスイッチオンにして稼働していたわけだけれども。

二十年以上、「うつがふつう」で生きてきた私も、一般の人が生きている普通――死にたくないし、食事や睡眠は気力で摂るものじゃないし、朝目覚めたことに絶望しないし、心を動かすことがしんどくない――を体験してしまうと、「うつがふつう」に戻るのはしんどいものなんだな、と素直に思った。
自分でも薄々「がんばってるな」、「無理してるな」と感じていた無理や頑張りは、一度荷解きしてしまうと二度と背負う気になれないような、えげつない無理や頑張りだった。

普通っていいもんだな、と思う。
美味しいものを食べたら美味しいし、まずいものを食べたらまずいし、空が青いだけで幸せになれることもあるし、色んなことに泣いたり笑ったり怒ったり、感情を動かすことができるし、人間の普通って、とても豊かで貴重なものだと思う。

一度落ちてしまったわたしは、再び普通まで登っていく旅の途上で、
物語や文章にふれるのはまたしんどくなっちゃったし、
歌詞ありの音楽も無理だし、
ご飯は一日一食が限界だけど、
またそのうち、普通の景色が見えるところまで辿り着けたらいいなぁ、と思う。

そして、読むのが無理なときも、書くことで気持ちを整理できるのは、われながらありがたい習性だとも感じる。
そんなわけで、あんまり読めない代わり、またぼつぼつ繰り言を述べにくると思うので、そのときはどうぞよろしく。

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