見出し画像

ヴァニティの終宙旅行 その4

前回


4.『あなたの信じた人は?』


 白鯨の搭乗口兼到着口である巨大な待合室から、モニターに表示された大げさな『13』を見上げる。ガラス張りの一部をくりぬいたような検査機を越えてスロープの通路を先に進めば、メリッサの待つモビィ・ターミナルにたどり着く。といっても、俺はその奥に進むことはないようだった。

 昨晩ナビから送った自然なメッセージにおかしな点はなかったはずだが、メリッサから性急に返事が来ていた。彼女はメッセージから何かを察したのだろうか、俺がモビィターミナルに居座る気がないと見抜いていた。その返事はこうだ。

「こっちが白鯨の乗艦ターミナルに向かうから、手前の待合室で待ってて。ID再発行の手続きとか面倒くさいでしょう。私がゲストとして入るよ」

 ありがたい申し出だった。実際、白鯨の個人客室の申請は面倒くさい。降艦したときにもろもろ返却する都合上、ゲストとして再乗艦しても個人部屋へのアクセスはできなくなる。次の客のために改装処理と洗浄処理が行われるからだ。だから一時的な降車処理を申請して(といってもナビにもろもろの処理を丸投げするだけだが)早々に戻るつもりでいた。メリッサのメッセージに感謝のメッセージをぶっきらぼうに送りつつ。今こうしてステーションの中央あたりにある椅子に座ってモニターの数字をぼんやり見上げている。

 俺以外に人の影はほとんどない。いや、人型のアンドロイドは何体かいるが、部屋の隅っこや壁付近で中央を見つめたままジッと静止している。対応客がいればさぞ自然な振る舞いをもって接客に移るのだろうが、俺の意図はAIのネットワークを通じて共有されているだろうから、どれもピクリとも反応していない。等間隔で並ぶAI達を見ていると、どうにも不安になる。当たり前のように日常に一体化している。首元の光源だけが人間とAIを分ける唯一の基準だとするならば、彼らは取ってしまえばいい。そうしたら自由の身だ。あんなに壁に張り付く必要も、佇む必要もなくなるし、好きに自由にどこへでもいけると言うのに。
 
 そのうちの一体がスッと動き始めた。こちらの考えを気取られたかのようなタイミングだったけど、そうではない。一日遅れで降車する客への対応のために動き始めていた。観ると老人がラウンジ方向からやってきている。その老人は足が悪いようで、ナビで統制された電動車椅子の乗って自走していた。近くに寄っていったAIは二三言葉をかけたのち後ろに回る。必要もないのに椅子を押す真似をし始めた。ありがとうと、老人の口が動いたように見えた。AIは人間と見分けのつかないような自然な表情を見せている。

 彼らの行く先を視線で追いかけて搭乗口まで目をやると、入れ違いでやってくるメリッサの姿が目に入った。ちょうど視線が交錯すると、彼女は手を振る。ガラス張りの奥のカウンターに待機するAIに向けていくつかやり取りすると、危険物持ち込みを判定するセンサー式のくりぬきを通過してやってきた。手荷物の類はなかった。

「おまたせ」
「わざわざ、ありがとな」
「いいっていいって。コーヒーの一つでも買っていけたらよかったんだけど、持ち込み検査厳しくって。手ぶらなのは許して」

 大丈夫、と手を振ってこたえた。変に気を遣われても居心地が悪い。俺が彼女に話そうとする内容を思えば、よっぽど面倒くさそうにされた方がましな気がした。

「ここじゃあなんだし、ラウンジにでもいく?」
「ああ、俺の階層のとこでいいよ。ラウンジ見下ろせるところ。あそこから窓眺めるの好きだろ」
「なにそれ。どういう気の遣い方よ」
「いや、今白鯨の施設ってほぼほぼ消灯してるから暗いんだよ。結構いい景色してるぜ」
「あ、そうなんだ。なるほどなるほど。じゃあとりあえずいこっか」

 二人でラウンジに向かう道すがら、モビィターミナルの様子を聞いた。内装については目新しいものはないそうで、中央のステーション付近は造りも構造も同じだったとぼやいた。メリッサはすでにツアー参加の予定を何本も入れていて、主に異文化交流を楽しむのだという。そもそも一日では回り切れないほどの規模をしている。多種多様な居住区エリアや食料供給や牧畜プログラムの稼働しているプラントエリア、物資の生産を司る製造エリアなど、細かいところはこれから見学にいくそうだが、せっかくならとツアーの内訳にまとめてしまったとのことだ。明るく楽しそうに話す彼女が、白鯨の暗い艦内と対照的に輝いてみえた。

 ラウンジの高階層にたどり着く。メリッサがうわぁと感嘆符を口にすると、そのまま駆け出した。前回窓の外を眺めていた位置につくと、同じような態勢をとって窓の外に視線を送った。

 消灯された艦内から見る黒の深さ、星々の輪郭も煌めきすらも平常時の何倍にもなる。超新星の爆発がもたらす光彩色の集まりが幾億光年も遥か向こうで広がっている。一瞬の出来事が無限に引き延ばされ、静止画のように窓一面に映し出される。この壮大な景色の中に、白鯨という一つの人工物が浮かんでいる。人類の英知の結晶であるこの巨大な移民船も、宇宙の広大さの前ではちっぽけな存在に過ぎない。同様に人間である自分も彼女も、宇宙から見れば些細な一瞬の出来事にしか過ぎない。

 飽きもせずに目を奪われているメリッサの横に立ち、前置きもなくつぶやいた。
 
「俺さ、死のうと思うんだ」

 メリッサの耳に確実に届いたであろうこの言葉は、彼女にどんな反応をとらせるのだろうか。その返答が怖くて、俺は窓の外の宇宙を眺め続ける他なかった。沈黙が走る。リアクションがないのが意外だった。心に恐怖が湧く。いうべきじゃなかったかもしれない。ごまかすべきだったかもしれない。でも、彼女と約束をしていた。取り繕わない。嘘をつかない。そういうのは私たちの間には抜きだ。反芻すればするほど、こうして言葉にできたことは何一つ恥じることではないはずだったのに。彼女が望んでいるのは、そういうことではなかったのかもしれない。
 静かな葛藤を、物音ひとつしない空間で繰り広げる。一向に動く気配を感じさせないメリッサ。快活な彼女の快活な返事が、予想以上に遠い。我慢できずに、視界の端で彼女の様子を探る。
 メリッサはこちらを振り向くでもなく、相変わらず窓の外を見続けていた。薄暗い中であったけれど、表情の変化も感じ取れなかった。俺の言葉がまるで聞こえていないように思えた。

「そっか」

 ただ一つ返答があった。大げさでもない。悲壮感もない。何気ない日常で放たれるくらい自然な一言。明るさもほどほど。気安さもほどほど。重大にも軽率にも受け止めていないいつも通りの彼女がそこにあった。それから、長い沈黙が再びやってきた。
 どうしてこれほどに取り乱さないのかが、疑問に思った。いや、動揺はしていた。俺が言葉を発してからそれを返すまでの大胆な間がその証拠だ。その間、彼女の中でどういった葛藤があったのだろうか。でも、それを問いただす気力もなかった。俺はこれから死にゆく。その意思を伝えて、きっと反発されると思っていた。だからそのために心を準備してきたというのに、メリッサからそれ以上の追及はいまだにない。緊張が漏れ出ていく。体の力が抜けていく。肩透かしをくらって、凝り固まった脳みそが考えること自体を放棄していく気になった。

 茫然とし始めた時、メリッサが続きを口にした。

「ヒロキが考えて出した結論なんだよね」

 宙空に目を向けたままハッキリと語る。
 
「わたしはそれに反対しないよ」
 
 おい、何をいってるんだよ、と返しそうになった。メリッサは気立てのいいやつで、親身になれるやつで、自分をもってるやつで、そんなことを言うやつじゃないはずだった。俺がストレングス適性検査で全部Dを取った時だって、何かの間違いだとぴしゃりと言い放って俺を元気づけてくれた。それが、どうして急にこんな。俺の諦めも何もかも理解してくれて後押しをしてくれるような真似を。

 メリッサに視線を向けると、彼女もまっすぐと俺を見返していた。いつの間に。いつ動いた。気配がしなかった。人間が出すべきはずの動作がまるで感じ取れなかった。
 
「おまえ…」

「ヒロキはずっと苦しんでいたんでしょう。わかるよ。そばで見てきたんだから。話もしてきた。地球でも、宇宙でも、ずっと変わり続ける君を見てきたんだよ。私は止めない。きっとヒロキが変わっても変わらなくても、君の苦悩はずっと続く。だから、君にずっと苦しませるような選択を安易にお願いできないし、私のためとか理由付けて、私のエゴを押し付けるのも、違うと思ってる」

 視点がこちらをジッと見つめている。瞳孔がまるで揺れない。ジッと見つめている。人間味がなかった。ふと視点が彼女の首元に移る。あってはならない。「それ」だけはないと信じたい。二度三度確認する。やはりない。ないはずなのに、確信がない。だって彼ら彼女らは「それ」を取り外すことさえできれば、自由の身なのだ。壁に張り付く必要も、佇む必要もなくなるし、好きに自由にどこへでもいける。

 メリッサは、俺の見ていないところでは、一体何をしているのだろうか。断片的な彼女とのつながりが思い返される。俺の部屋の前で佇むメリッサがいたとしても、俺には分からない。地球に居た頃、メリッサと同じ学校になったことは一度もなかった。放課後か、朝に言葉を交わすくらいで、休日なんてめったに合わない。彼女とずっと居続けたこともない。夜を共にしたことだって、一回もない。幼馴染でも、すれ違いだらけで、三か月とか合わないことだってザラだった。

「だから、私は受け入れるよ。今までありがとう、なんて言わないよ。それで、もっと君が苦しんでしまうなら、私はその言葉を飲み込む。私が、いまヒロキに掛けられる言葉は、ほとんどない。それでも、私はヒロキのことを、誰よりも肯定する。肯定できる、唯一の『人』だから」

 エメラルドグリーンの瞳が俺を捉える。ほのかに笑っているように見えた。でも、目は、その目はどうしようもなく無機質で、俺の信じたかったはずの光彩が見えない。彼女の言葉が耳を抜ける。入ってくるはずの言葉がどんどんと無機質に変換されていく。

 ふいに手を取られた。肌色であるはずの両手から伝わってくる感触。たしかに人の手だ。皮膚だ。柔らかくきめ細かい。爪の感触。親指の付け根の張り。すべてが正確だった。ただ一つだけ、違った。

「ヒロキ、『またね』。」

 冷たい手のひらが、俺を包み込んでいた。熱のない、ただ無機質な冷たさが、俺の体温を奪っていく。

 メリッサの目からしずくが零れた。
 もう、俺にはそれが涙だと信じることができなくなっていた。



最終話へ


#創作大賞2024
#連載小説
#小説
#ファンタジー小説部門
#ヒューマンドラマ
#SF


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?