1万km先の地、エチオピアで出会ったもの

「エチオピアってどこ?」

去年の夏、東アフリカの一国、エチオピアでの仕事が決まったとき
出張先を聞かれるたびに、こう聞かれることが多かった。

仕事でアフリカ、というのも珍しかったのか、色々聞かれたが、
さらに私にとってこれが第一子を産んでから初めての大きな仕事だったことで
「えー、子どもはどうするの?!」と驚かれることも多かった。

「かなりの行動派」と言われる私にとっても
初めての子育てに奮闘する中、
生後9ヶ月の娘を置いての初めてのアフリカ出張
となると、さすがにわくわくするだけではいられず、
一定周期に、不安に襲われる状況だった。

「そういえば学生時代の友人が、エチオピアと日本を繋ぐ活動をしてたっけ?」
「彼と言えば、エチオピアダンス。
独特の飛び上がる踊りをイベント、結婚式とかって度に披露してたなぁ」

そのくらいの記憶しかなくて、
改めて出張が決まってから調べたところ、
「赤道直下のアフリカ、と言っても高度が2300mもあって、
じつはかなり涼しいらしい」
と、トランクにユニクロのウルトラライトダウンを詰め込んだ。

最近、直行便ができたらしい「エチオピア航空」での往路。
燃料ではなく、乗客不足で採算合わない、といって香港で一時停止する便で、
16時間もの間、エコノミークラスの席に押し込められた。

そんな中でも、娘と離れて過ごす新しい大陸での10日間に少しずつ
リアリティが出てきたのか、降り立つ期待感が湧いてきて、思ったより疲れを感じずに到着した。

初めてアフリカの地に降り立った。

ここから、怒濤の「目から鱗体験」が続くことになる。

まずもって、このエチオピア航空。
随一の国営企業で、アディスアベバ国際空港を拠点にしているのだが、
なんと、アフリカ60都市を含む世界104都市に就航する
まさに「巨大ハブ空港」であった。
夜中にも関わらず、明らかにキャパオーバーにごった返す様子に
エネルギーが渦巻くのを感じた。

コーヒー発祥の土地で、輸出も多いが、外貨がとにかく不足している!
ドルで払ってもお釣りがドルであることは有り得ず、
エチオピアに預けた外貨(ドル)は、1ヶ月もすると自動的に
9割、現地通貨ブルに換えられてしまう、という。
これを現地に住む日本人は苦笑しながら、「ここではドルは溶けるんですよ」
とこぼしていた。

とにかく外貨を稼ぎたいこの国で注目されているのが「バラ」。
単位面積あたりの外貨獲得率が高い、とわかった「バラ」を
10数年前から農園開拓して生産。先のエチオピア航空の空路で、
ヨーロッパや中東、アメリカへ、と輸出している。

日本の花卉産業のノウハウをエチオピアに活かすための調査を行うという
ミッションの仕事だったため、エチオピアに着いて翌々日に
このバラをはじめとした花卉生産の政策を担う「偉い人」と話す機会を得た。

そこで、最初のパラダイムシフトがやってきた。

それは、散々在エチオピアの日本人の方々から
「外貨がない」「電気がない」「スタバがない」と
ない・ない・ないといった話ばかり聞かされた後のことだった。

目の前の30代半ば、博士号ももって部門のトップを担う副長官は、
エチオピアの新興産業である花の産業を、いかに推進していくか、熱心に語っていた。さらに、この国での花産業がどれだけ有望で、政策としても優遇されるかを語ったあとに彼はこう言い放った。

「エチオピアには、こんなにもポテンシャルがあるのに、ここに投資しない、なんて!(バカじゃないか?)」

「バカじゃないか?」というのはごめんなさい。彼の静かな笑みから
そう聞こえた、という私の脚色が入っている。

全くの嫌みなく、自信たっぷりにこう言い放った彼の静かな笑みに
私は、「がーん!」と頭を殴られた気がした。

じつは私自身、その瞬間まで「途上国」に来ているという意識しかなく
「何を与えればこの国のためになるのか」なんて超上から目線であったことを告白する。

それがどうだ、「先進国」である日本から来た私は
彼らにあって、自分たちにないもの、を突きつけられている。

この笑みの向こうにあるものをなんと呼べばいいだろう??

「誇り」「健全なプライド」「自己受容感」……。

100点から減点方式で成績をつけられて久しいせいか
「ないもの」「足りないもの」に敏感な、「ないもの探し」が無自覚にも骨身に染み付いてしまっている私からすると
「あるもの探し」を当然として堂々としているエチオピア人の彼の姿がまぶしくて仕方無かった。

この一件を境に、私は目を開かされ、以後、この違いがどこから生まれてきたのか?知りたくてしょうがなくて、あれこれ質問する人間になっていた。

歴史学者でも社会学者でもない私だったが、1年半の間に4回、最後の2回は
幼い娘を抱えて、この地を訪れ、
さらには彼らを招へいして日本各地を案内し、
様々なエチオピアの人たちと同志と言えるほどまでの関係をつくってきた中で
見えてきたものがある。

それは、誇り高きエチオピア人像は、最初の彼だけのものではない、という事実とそれを支えるたくさんのエチオピアの物語の存在だった。

じつは、エチオピアは、アフリカで唯一植民地化されていない国といわれている。一時、イタリアに攻め込まれるも、撤退することになったため、
エチオピア国からすれば、彼らに勝利した、と。
あとで知ることになる、アフリカの他の国々が、逆に、植民地化で脅かされ奪われ傷つけられている自尊心のようなものを抱える姿と比べると、大きな違いを感じざるを得なかった。
コーヒーの発祥というだけでなく、「人類の発祥はエチオピアである」というのも有力な説で、「ルーシー」と呼ばれる最初の二足歩行人類の骨格が
よく停電になって薄暗い博物館の地下に鎮座している。
さらにエチオピア正教と呼ばれる、キリスト教の原初の形のものが独自に残り、
独特の宗教生活が営まれている。総じて、信心深い。
何より驚いたのは、ボブ・マーリーに代表されるレゲエが、じつのところ
アフリカ回帰運動の象徴で、アフリカといっても「エチオピア」に帰ろうって歌っている!だなんて……驚きすぎて、言葉通り、聞いたときはアングリ開いた口が閉じなかった。
80以上の民族のモザイク国家であるものの、長らく栄えてきた王朝への信頼が
国民を支えていて、なにかと神話伝説の話が話題に挙がり、その登場人物の名前をもった人の多いこと!
近隣のケニアなど複数の国では広くスワヒリ語などが使われているのに対して
一国だけ、アムハラ語を公用語にしていたり、独自のエチオピア時間・暦があって、朝の6時が0時とカウントしたりする。
「待ち合わせは(午後)4時ね」といっても朝の10時を指したりする。
主食はイネ科の穀物「テフ」を砕いた粉でクレープ状のものを発酵させてつくる「インジュラ」。ネットで検索すると、変換予想で「インジュラ、ぞうきん」
と出てきてしまうくらい、独特の色や酸味の強さで、倦厭する人も少なくない。ところが彼らは、これを朝から晩までの、日本の白米のように毎度に食べるだけでなく、「おやつ」にも食べ、とにかく、インジュラ!な毎日を送っている。
首都から郊外に車を走らせると一面、テフ畑。
イネ科だからか、日本の田園風景に近しいものを感じるほどだ。(じつはグルテンフリーのスーパーフードだったりするので、侮れない!)

自分たちの衣食住。自分たちの宗教観、歴史観、伝統と風習。
彼らがもつ「自分たちのものに対する誇り」は、決して形式的にただ続いている、という感じがしない。形骸化されておらず、リアルな息遣いとともにある。

どうだろう?至るところに、「エチオピアの物語」があり、これらを教えてくれた一人ひとりの顔には、先の清々しい「誇り」が溢れている。

誰かが、この「誇り高きエチオピア」を、
「アフリカの京都みたい」と呼んでいたが
私自身、京都出身の友人が少なくて、検証しきれずにいる。

ただ、この土地、人がもつ「誇り」は、なぜか出会う人の生き方まで照らしてくれるらしい。この土地に住むことになったことを「左遷」のように思い込んでしまっていては、得られないようだが、ふと目や耳や心を開くと、驚くほど清々しいエネルギーが自分にも注がれてくるのを感じて、総じて生きるエネルギーが湧いてくるのか、気づけば「あるもの探し」が自分にも伝染してしまう。

この地に魅了されてしまった一人だから、こういうのかもしれないが、
あちこちに物語が埋め込まれ、ひとつ扉を開くと、次の扉、さらに次の扉、と尽きることのないポテンシャルにあふれていて、トラブルに遭った話ですら、笑顔で語られる。

いつかに流行ったキャッチフレーズ「そうだ 京都、行こう。」みたく
「そうだ エチオピア、行こう。」
と、行けそうな旅程を探して、スケジュール帳を開いてくれる人がいてくれたら、と思う。

1万km離れたアフリカの地、エチオピアを鏡に、
自分を照らしてみることを強くオススメする。


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