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夢みるアンティーク-常徳堂へ-


美しい店には、美しい店主が必要だ。

店の造作が美しいだけではまだ足りない。そこに威風堂々たる店主が居てこそ、店は完璧になるというものだ。

そしてそれはもちろん、見た目だけの問題ではない。佇まいや、言葉の端々、所作のすべてから立ちのぼるもの。


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この度、そんな店主のいる店に出会った。名前を常徳堂、という。

「パリの深淵」から届いた、古き善きアンティークたちを集めた場所。



初めて見たのは大好きな靴職人さんの工房の階上。


古き善きものたちがひっそりと、うるさい東京に見つからないよう大切に並べられている。

アンティークに関しては全く無知なのだけど、それでも時を経たものの重みや、今では考えられないほどしっかりした作り、あるいは手の込んだ細工にはいつだって感嘆してしまう。

常徳堂に選ばれたものたちは、まるで静かに眠っているみたい。日本に連れてこられたことにもきっとまだ、気付いていないのね?

そう思うくらい静謐な空間。

その小さな場所いっぱいに世界が広がっている感じや、それぞれのものが淋しくもなくうるさくもない適切な間隔で配置されているところ。丁寧に並べられているのに、絶対に触らないでよ、みたいな神経質な感じのしないところ。ひとつひとつ古いものなのに、とても綺麗にしてもらっているところ。

わたしはそんなところがとても心地良くて、すぐにとても気に入ってしまった。


そして店主の様子も。


溶け込むように佇んでいるその感じ、ものの上げ下ろしに際して音をたてないところ、目を留めるものに説明をしてくれる、その内容や言葉のトーン。その裏に膨大な知識量を感じさせるのに、最後に純粋な「好き」が滲むその話しぶりを、とても良いと思った。


この人はきっと、感覚を、言葉で裏付けすることができるひと。


死ぬほど勉強した学生時代に、毎日毎日世界を見る枠組みが新しく増えていったときのあの感じ。それを何と捉えればよいのか分からないのだけど、店主の話を聞いていると、そういう感覚が浮かび上がってくる。

与えられる知識と自分の想像力との総和によって、目の前にあるものが急に立体感を増す。まるで、音を立てるように。

ああそうだ、古いものはこれだから面白い。

そんな感覚、わかるだろうか。



そして冷静なのに、それでも言葉を話すごとに、目の前のものを好きな気持ちがこぼれていくよう。そういう人の話を隣で聞く瞬間はとても素敵で。

美しい店に、美しい店主がいるそれは、まるで映画のような瞬間ね。

なんてぼんやりと思いながら。


結局わたしは自分のイニシャルと一致した、小さく重たいスタンプを手に入れた。こんな店で、美しい店主の眼にかなったそれを譲り受けるのはたいそう幸福なことだと思った。


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美しい店には、美しい店主が必要だ。

そこではそっと、大切なものが手渡されている。こっそりと綺麗な紙の端っこを千切るように、店に灯った明かりが人から人へと。


その想いがものに宿るとき、ものはより一層美しさを増して

きっとそれが、時を経てまた次につながってゆく。


(画像は全て2016.12.11, 赤坂蚤の市における常徳堂にて撮影)


*Link:常徳堂






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