途中で読まなくなるマンガに感じること
昨日、以下のツイートをしたところ、Instagramフォロワーが9.5万人の漫画家さん、ざく ざくろさんから、こんなメッセージをいただきました。
「えーー!? 私に何が言えるんだろう」と悩みまして。(経験値の差がありすぎ)
でも、漫画ど素人の私だからこそわかることもあるのかなあ、と思い、ちょこっと書いてみることにしました。
大前提ではあるのですが、まず、人って、何かを得たら何かを失っているところがあると思っています。例えば、スマホがあって退屈しないようになったら、そのかわりに、電車の窓から見える一瞬のきれいな景色を見逃してしまうことが増えるなど。
それと同じように、私たちは今、お金を払わなくても多くの漫画のさわりだけなら読むことができるようになりました。「それで、何を失っているのか?」というと、「時間」だと思うんです。
少なくとも私は、以前以上にシビアに、漫画を読むことの「時間的喪失」をジャッジするようになりました。
で、そのシビアさって、けっこうえげつないと思うんです。私みたいな編集者ですら、漫画を読む以外にもさまざまな「読まなくてはならない本」があるわけで。「どの漫画を読むか」という選択肢ではなく、「一冊の漫画 VS仕事本・SNS・メディア全般etc」という時代ですよね。
すると、読者心理がどうなるかというと、「わざわざ、面白いかどうかの賭けにでなくていい」。つまり、損をしたくないから王道で十分、となるような気がしています。
ちょっと前、食べログができたことにより、「店選びに失敗しないのが常識」となったように。ハズレのない選択を「当たり前」とするようになってきていると思います。
なので、ごめんなさい。結論からいうと、私が読んでた漫画を離脱するときというのは、やっぱり、ワンピースのルフィが「俺は海賊王になる!!」と右手を振り上げて叫ぶみたいなものがない、主人公のwantがはっきりしていない場合が、圧倒的に多いんですね。(何の意外性もなくて汗)
コルクラボマンガ専科でも、繰り返しそれはいわれていることで、講評の授業でも、「主人公のwant(求めるもの)は何か?」と毎度、ツッコミが入りますよね。
ただ、最近ちょっと、この本を読んでいて思ったのですが、
「主人公のwant(求めるもの)は何か?」という言葉って、それだけじゃ、まだ少し、解像度が低いような気もしています。
そもそも、漫画を描く人の立場からすると、ワンピースのような漫画を、描きたいわけでも、描けるわけでもないと思う人もいると思うし。私自身、気がついたら「何となく流されるままに生きてしまう人」を主人公に据えてしまうことがよくありまして……。
正直、ハングリー精神に恵まれない、ぬくぬく育ったきた私には、心の底から「何がなんでもこれがほしい!!」という感情に、そこまでリアリティが持てないような気もしているんですね。なんとなく、王道の「want」をもてあましてしまうというか。
じゃあ、「wantを全面に出さなくても離脱しないためにはどうしたらいいのかな?」と思ったときに、以下のことが重要なのではないか、と思いました。
・登場人物に、未来のことを語らせる
先ほどの本に書いていることであることですが、少しだけその中身を解説してみようと思います。(なんか偉そうで、すみません)
物語の冒頭から、ページを捲る手を止めさせないために、絶対に必要なのが「期待感」だといわれています。いわゆる「これドナ(これどうなっちゃうの?)」というものです。
これって、私はちょっと誤解していたのですが、主人公にwantがあるから、これドナも生まれると思っていました。でも、実は、そうではないことも多くて、
たとえば、「愛の不時着」であれば、もう「北朝鮮にパラシュートで落下した」という設定がすでに、これドナ。主人公のwantを聞くまでもなく、「きゃー、どうなっちゃうの?」「果たして、韓国には戻ってこれるの?」と、読者は先回りして心配(期待)せざるを得ないと思うんです。
また、その作品の持つ世界観のようなものが圧倒的な場合も、その世界観自体に、読者の期感が増す場合もあると思います。
ざくさんの漫画などは、ここがすごく秀逸で、気怠い主人公の雰囲気などが、すでに、読者の期待感を高めているんだと思うんですね。「自分にはないものを持っていそうで、次にどんな行動をするのかわからない。だから、登場人物への期待感がものすごく高くなる」のではないでしょうか。
でも、冒険もののストーリーでもない限り、最初の段階では、wantはそこまで明確ではないことも多いですよね。そんな中でも、読者の期待感を維持していくためには、時系列を意識することが大切なのではないかな、と思います。
たしか、東京ネームタンクの後藤さんもYouTubeでおっしゃっていたと思いますが、wantっていうのは「求めている時点」では、まだそれを主人公が手に入れてはいません。
wantのある状態というのは「過去」や「今」であって、読者が期待しているのは、どうやってそのwantが満たされるかという未来。wantがその後、どうやって、自分では経験することのできない「葛藤」や「対立」を経て手に入るのかを、読者は期待しているわけです。そもそもそれが、物語を読み始める動機なのだと思います。
だから、物語の中で「未来の情報を与える」というのは、その行為自体が、読者の期待をふくらませることにつながるのだと思います。
サスペンスドラマなどで、「今日は、天気が荒れそうだ」なんてセリフがあると、それだけで主人公の未来の葛藤を予想して、読者の頭ではさまざまな期待が始まりませんか? 「大変!」と思いながらも、どこかで天気が悪くなることで起こるであろうハプニングに、期待しているからです。
だから、未来への期待に答えつつwantが明らかになっていけば、全面的に「海賊王になる!」というのを出す必要はないのかもしれません。(本当かな。。)
例えば最近、「ヤクザとの恋愛もの」の少女漫画が流行っていて、私は中でも、「恋と弾丸」を面白く読んでいました。
絵もきれいで、そのヤクザを好きにならざるを得ないということに説得力がありましたし、第一話の展開もとっても無駄がなく、ぐいぐい引き込まれました。
何よりすごかったのは、ヤクザであるという設定を、すごく上手に恋愛関係のなかに散りばめていたことだと思います。
そもそも、ヤクザを好きになる時点で、読者の頭には「大変そう」「一筋縄ではいかない」ということが浮かんでいるのに、恋愛要素多めで甘くなりすぎそうになったら、急に弾丸が飛んできて撃たれる、みたいな展開があって。これに、主人公が「葛藤」することで、がしっと心をつかまれました。
そして、恋と弾丸のなかで、ことあるごとに出てくるのが「これで最後かもしれない」というセリフです。これによって、二人の未来を予測させ、かつ、今の甘い時間が、いつまでも続くわけではないことを念押ししてくれるんです。キスひとつの意味も、ぐっと変わってきますよね。だから、ページを捲る手が止まらない。
とはいえ、結果として、そこまで引き込まれたにもかかわらず、離脱しました。
このお話って、主人公のwantがあやふやなうちから葛藤があって、その葛藤からwantに確信を持つという、ワンピースとは逆のプロセスを辿る醍醐味があったと思うんです。そこを、端折ってしまったのが致命的でした。
恋と弾丸では、家族や友達にも迷惑がかかるかもしれないことへの主人公への葛藤が、あまりにあっさり描かれてしまっていたんですね。本当に残念です。
そういう意味では、ルフィのような明確なwantが最初からない状態で、未来への布石をいくつも置かれていると、読者の期待感が高まっているだけに、もう最後は、誰もが納得するような「もう、そうせざるを得ないでしょ」という段階まで持っていかないと、なかなか納得させられないのかもしれませんね。
ちなみに、未来に対する「期待感」には種類があり、それが以下であると、前述の本には書かれていました。
「何が起こるんだろう(好奇心)」「起こるか? 起きないか?(サスペンス)」「いつ起こる?(緊張感)」「起こるといいなあ(希望)」「起こるといやだなあ(心配)」。
それ以外でも、この本に書かれていることで、ほほーっと思ったことに「主人公以外のwantを明確にする」というものもありましたので、メモがわりに。
・主人公以外のwantを明確にする
私のように、流されるタイプの主人公を描いてしまいがちな人は、バディや敵役などの、周囲の人のwantをはっきりさせておくのも一つのテクニックだそうです。
例えば、主人公が記憶喪失になる物語があったとして、その時点では、主人公に強烈なwantはありません(これドナではあるかもしれませんが)。
ですが、周囲の人が「なぜ覚えていないんだ!!」と涙ながらに訴えると、主人公としては、「思い出したい!」という強いwantを持つきっかけになりますよね。
このように、周囲の人に強いwantがあれば、必然的に、主人公にもwantが生まれやすい。この本にも、なんなら登場人物は全てに、強烈なwantがあったほうがいい、と書かれていて、ほーっと納得しました。
少しは、何かの役に立てたでしょうか? ど素人なりに、これからも面白い漫画とはどんなものかを考えていきたいです。ざくさん、貴重な機会をありがとうございました!
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