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街と会話する −LA近くの街で見つけた、私の写真の楽しみ方−

アメリカ・カリフォルニア州で社会人1年目を、東京で2年目を迎えた私がこの2年間続けている大好きなこと―それは、街の風景を撮ること。
信号待ちの交差点。向かい側のホーム。道端の落とし物。街中でただ足を止め、そういったものをカメラに納めることが好きです。

ただの趣味と言われればそうなのかもしれないけど。街の写真を撮ることは私にとって、街での忙しない暮らしと殺伐とした気持ち、孤独、そんなものにもう一対の目を通して向き合い、街と仲良くなるための方法なのです。

毎日同じところで働いて同じところで寝て。繰り返す日常の中で、「こんな場所もうやだ」って思うことって、誰にでも少なからずあるのではないかと思います。

この記事では、私にとって「街の写真を撮る」ことがどうやって「今いる場所を好きになる」「今の自分を好きになる」方法になっていったか、紹介したいと思います。

街と「仲良くなる」

一昨年カリフォルニアの大学を卒業し、LA近くの街でフレッシュマンとして働き出したころ、私は初めての都会での一人暮らしに心細さを感じていました。

多くの人が想像する通り、カリフォルニアはとても開放的でエネルギッシュな場所です。同時に、何百キロもだだっぴろい空と灰色の道路が続き、街々に貧富の差が歴然と見られる、殺伐としたところでもあります。

そんな場所で家族や親しい友人から遠く離れて何ヶ月も暮らすうち、私は都会のエネルギーに圧倒され、強烈な孤独を感じるようになりました。最初はなんとなく気を紛らわすように、「おもしろいな」「きれいだな」と思ったものをカメラに納めていました。

私が住んでいたのはLA近くのSanta Ana(サンタ・アナ)という大きな街で、この写真は街で唯一の駅の立体駐車場にあがって撮った写真です(カリフォルニアはザ・車社会なので、電車はほとんどないのです)。

この日は仕事帰りに夕日がきれいなことに気づいて、空に近いところで見たくなり、その周辺で一番高く登れるところまで車を走らせました。南カリフォルニアでは、LAの中心部以外に高層ビルなどの背の高い建物が立っている場所は意外と少ないのです。あの日あのタイミングで、あの立体駐車場を思いついたのはラッキーでした。

カリフォルニアでよく見かけた電線に引っ掛けてあるスニーカー。その下で、ドラッグディーラーとディール(取引)ができる、という目印なのだそうです。ちょうど夕日を背に踊っているようなスニーカーの影を捉えたくて、ついシャッターボタンを押しました。

私の地元・沖縄は、いつも水平線に囲まれているような感じがして、少し高台に登れば巨大な夕日が島全体を照らしながら沈む様子をみることができました。

沖縄から遠く離れたまるで正反対のカリフォルニアの大地で、「地元にかなう場所なんかない」と思っていた不満や寂しさがふっと消え、「夕日はどこから見てもきれいなもんだな」と不思議と前向きに感じたのを覚えています。

South LAの貧困にあえぐ街が雨上がりの飛沫できらきら光る様子、Long Beachの工業地帯に煌々と光る明かり、Downtown LAの無機質な高層ビルに反射する青空。

足元と頭上、昼と夜、見つめている私の心持ち。どれか一つが変われば見えるものも180度変わります。タフな街が一瞬見せる気まぐれな美しさに、その時感じていたしんどさや寂しさも吹っ飛んでしまう。生まれ育った町はこの街と空でつながっている。頭でわかっているようでわかっていないことを気づかせてくれる、そんな写真の魅力に私を目覚めさせてくれたのは、カリフォルニアの街々でした。

誰もいない時でも、見ていてくれる

「この一年撮った写真があなたのスマホに何枚あるか知っていますか?」

と聞かれて、すぐに答えられる人は少ないのではないでしょうか。撮った写真を見返すこともそうそうないと思います。ご他聞に漏れず私も、先日スマホの中の写真が3,000枚溜まっていたことに気づいてびっくりしました。

カメラが私達が見た風景や人、モノを私達の代わりに覚えていてくれると思っています。その時感じていた気持ちごと、切り取っていてくれるのではないでしょうか。

仕事で失敗したときの落ち込んだ気持ち。

誰かに褒めてもらったときの嬉しい気持ち。

会いたい人のことを思い浮かべる切ない気持ち。

そのときはがむしゃらに生きていて向き合えていない、気づいてもいないかもしれない気持ちも、レンズはありのまま、一緒に記録してくれています。

「あの日は悩みでもんもんとして、一人で散歩しながら撮っていたな」

「雨上がりに虹が出て、とてもうきうきした気持ちで撮った写真だよな」

そんな風に後から見返すと、映え狙いで撮った写真やなんとなく撮った写真にも、新しい気づき・思いが芽生えてくるかもしれません。私は、「うわー、あの時超ネガティブだったけど、成長したな」と感じるケースが多いですね(笑)

編集と加工で気づく「新しい私」

かつては、写真を加工・編集するという考えがあまり好きではありませんでした。ありもしないもの、見てもいないものを繕っているみたいな気がして……。

でも外出自粛の時期のおかげで、新しい発見がありました。古い写真を整理するようになり、「この写真、もっと面白くなりそう」と思ったものをAdobeのLightroomでいじるようになったのです。

独学なので試行錯誤しながらの編集ですが、これが……楽しい!そして、当時は何気なく撮った写真が、意外と面白い写真になったりするんです。

Before

After

これは2年前、LAでダンスセッションに行った後撮った写真です。あのときは「こんなところに靴を置いていくワイルドな人もいるんだな」と思った程度でした。でも先日編集してみると、当時感じていたワクワク感を思い出したり、道端のゴミですら懐かしくなったりして、我ながら面白い出来になりました。

ゴミまでくっきりと鮮明に。ポスターのように平面的で、ビビッドに。狙ってこの形になったわけではありませんが(笑)、私の記憶の中のLA、私の好きなLAの姿がこの編集に現れているように感じます。

見返して気づくこと、今の自分の感性、そういったモノがレタッチすることで生きてくる。それも、写真の楽しさの一つだと思います。

みんなアーティスト

今でこそはこんなに熱弁できるほど、愛着を持っていますが、最初は「写真なんてセンスないし」「編集なんてやったことないけど」と思っていました。続けるうちに、こんなに楽しくなるとは思ってもみませんでした。

日本では、「上手くなければ」「人様に見せられるレベルでなければ」大したことじゃない、続ける価値がない、と思ってしまう方が多いような気がしています。

でも、自己満でも自己流でも楽しめる何かを、自分のためにすること、それを通じて自分の周りの人や環境へのAppreciation(感謝、鑑賞)を深めることはとても良いことだと思います。そして、例えそれが「大したことない」と思っていても、「何ヶ月かに一回やるかやらないか」でも、自分のために何かしていることには胸を張っていいと思うんです。私の大学のある教授がこう言っていました。

「知らないだろうけど、君たちはみんなジャズ・ミュージシャンなんだ。君たちの心臓はビートを刻んでいる。その声で様々な音色を奏でられるし、それで他の楽器(人)達と心を通わせることもできる。」

私達が毎日使う「目」やスマホを通じて自分を元気づけたり、誰かと伝え合ったりできるってとても素敵なことだと思います。「センスがないから」「やったことないから」と遠慮せず、ぜひ試してみてください。きっと自分自身も、自分も見ている世界も、もっと好きになれますよ。


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