百人一首についての思い その63

 第六十二番歌
「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関は許さじ」 清少納言
 夜明け前に鶏の鳴き声かこつけて私を騙そうとしても、決してあなたには逢いませんわ。

 Wishing to leave while still night,
 you crow like a cock pretending it is dawn.
 As I will never meet you again,
 may the guards of the Meeting Hill
 forever block passage through.

 この歌の背景には支那の故事があるので、まずそこから説明したい。秦王の追求の手を逃れた孟嘗君は函谷関についた。関所の法では、鶏が鳴いたら旅人を通すことになっていた。秦王が後で追いかけてくることを恐れた。食客に鶏の鳴きまねの上手い者がいた。彼が鶏の鳴きまねをすると、鶏はすべて鳴いた。とうとう旅客を出発させた。追っ手がやってきたが、追いつくことはできなかった。そのような故事を踏まえた上での歌である。さすがは、教養に満ちた清少納言と言うべきなのか、それとも教養を振りかざす嫌味な清少納言らしいと言うべきか。

 さて、この歌を詠んだ前日の夜、藤原行成が清少納言のところに訪れていた。長時間雑談をしていたが、行成は「宮中に弔事があるので、もう戻らないといけないと言って、清少納言に別れを告げた。翌日、行成から手紙が来た。「鶏の声に促されて帰ってしまいましたが云々」とあった。

 清少納言はこう返事を書いた。「夜中に鶏が鳴いたというのは、鶏の真似をして孟嘗君が函谷関を明けさせて脱出を計ったという故事のことでしょうか」と。行成は「函谷関ではなく、逢坂の関ですよ」と返事をしたので、清少納言はこの歌を詠んだのだ。実は、行成はほかの女のところに行ったのだった。清少納言はお見通しで、「私の家からほかの女のところに行ったのね。明け方その女の家で鶏の鳴き声を聞いてその女の家から帰ったのね。私の知らないところでよろしくやっているじゃない。でもね、もうあなたとの逢坂の関はないのよ(会うつもりはない)」

 孟嘗君の函谷関での故事を知っていなければ、このような機智に富んだやりとりは不可能である。つまり、行成も清少納言もそれだけの知識人であった。機智に富んだやりとりというものは、たとえ失敗談であっても軽蔑されることはなく、むしろ尊敬の念を以て評された。男女平等は大昔から日本の社会に根付いていたのだ。

 ところで、第五十一番歌に出てきた藤原実方が宮中で暴力を振るったことについて触れたが、そのときの相手がこの藤原行成である。当時左中将だった藤原実方は、行成に歌をなじられて、あろうことか清涼殿で行成の烏帽子をはたき落とした。このことが原因で陸奥に左遷された。まあ、暴力を振るうのは大の大人のすることではない。


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