百人一首についての思い第四十五番歌
「あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな」
謙徳公
お気の毒と言うべき人は思い浮かびません。むなしく死んでいくだけです。
“I feel so sorry for you.”
No one comes to mind
who would say that to me,
so I will surely die alone
of a broken heart.
この人の名前は藤原伊尹(これまさ)であるが、死後正一位と謙徳公の諡を贈られた。この歌の意味は、上に書いたとおりであるが、これでは何が言いたいのか全然理解できない。この人の家集の『一条摂政御集』によれば、若い頃に自分につれなかった女に贈った歌だと分かる。
小名木さんによれば、「あなたはまさか、私とつきあわないような哀れな人、お気の毒な人ではありますまいな。もしそうなら、あなたの人生はむなしく死んでいくだけのつまらない人生になってしまいますよ」という解釈になるそうだ。なんだか強引に口説いているとしか思えないのだが。
なんとも自信満々の嫌らしい、鼻持ちならない言いぐさだ。しかし、謙徳公という諡を贈られたくらいだから、この人は公私のけじめが付けられる謙虚な人で人徳も高かったのだろう。
この歌は、「君を幸せにする自信があるんだよ」と口説いていることになる。それは、いざというときには本気を出して物事に当たる男だということの証明になる。
そうか、この人は加山雄三と同じだったのだ。
「でもね、僕は君を幸せにする自信はあるんだ」
(恋は紅いバラの台詞の一部)
凄い自信である。この男は本気になれば何事もきちんとやり抜く男だったのかも知れない。私みたいにぐうたらで自信も信念もない男は黙っているしかないが、古希を迎えてすっかり枯れた今の私にはどうでも良いことだ。
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