百人一首についてての思い その27

 第二六番歌 
「小倉山峰の紅葉葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ」 貞信公 
 小倉山の峰の紅葉よ、おまえに心があるならば、陛下に御行幸いただくその日まで、散らずに待っていておくれ。 
 
 Dear Maples of Mount Ogura,
 if you have a heart
 please wait for another visit
 so that Hid Majesty may enjoy
 your lovely autumn colors.
 
 貞信公とは藤原忠平のことを指す。この人は関白大政大臣を務めた。さて、父親の宇多上皇が、息子の醍醐天皇に「ぜひとも紅葉狩りを楽しませたい」と提案した。だが、天皇は非常に多忙である。宇多上皇自身も天皇であったので、天皇の忙しさは身に染みて分かっている。それでも、美しい小倉山の紅葉くらいは見せてやりたいと思ったのだろう。
 
 そこで、貞信公が宇多上皇の天皇への思いを汲み取って、「関白太政大臣の私が、天皇の多忙な仕事の調整をして行幸の時間をひねり出すから、小倉山の紅葉よ、それまで散らずに待っていてくれ」と詠んだのである。
「ご公務を行幸先で執り行う」というのは、現代で執り行われている。戦後の焼け野原の日本を昭和天皇が全国行幸をされたことで、日本国民の「頑張ってよりよい明日を作ろう」という気持ちがわき上がってきたのだ。
 なお、行幸(ぎょうこう、みゆき)とは、天皇が外出されることである。目的地が複数ある場合は特に巡幸(じゅんこう)という。また、御幸(ごこう、ぎょこう、みゆき)という場合もあるが、これは上皇・法皇・女院に対しても使う。
 
 この歌には関白太政大臣という政治の場を取り仕切る責任者としての、ご公務で多忙を極める天皇に対して感謝する気持ちが歌から読み取れる。
 
 

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