杉田久女2

 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ

 花衣とは、花見のときに着用する衣装のことを指すらしい。
 つまり、この句の意味は、「花見から帰ってきた女性が着物を脱ぐために一本一本紐をほどき捨てていきます。こうあらためて見てみると、なんと紐の多いことか」という女性ならではの句である。
男の私にはさっぱり分からないが、確かに着物の紐は多いだろうくらいのことは想像が付く。
 この句は1919年(大正8年)に詠まれたという。その当時は、女性が社会で活躍するというのは相当難しい時代だっただろうと思われる。
 着物を脱いで紐を外す時の開放感に溢れているとも取れるし、長時間着物を着ていて体を締め付けられていた疲労感を表しているとも取れる。
 だが、花衣も紐も比喩であり、それは当時の男性社会に反発して、そのような世間の柵から自由になって、解き放されるのだ、という久女の決意なのだとも取れる。そのことは次の句でも感じ取られる。

 足袋つぐやノラともならず教師妻

 ノラは、イプセンの戯曲『人形の家』の主人公で、妻を人形のように扱う夫から自立しようと家を出たことから近代女性の象徴だと言われる。興味がないのでその本を読んだことはない。
 久女の夫は東京芸大出身の画家だった。田舎の中学校の図画教師だったという。「ノラともならず」とは、自分はノラのような自律した女になりたいという気持ちが心の底にあったからだろう。
 この句の意味は、「私は、時代の新しい女性・ノラのようにはならずに一教師の妻として、家庭を守り、こうして足袋を繕っているのです。」となるだろう。
「足袋つぐや」とは、足袋を繕うことである。現在の日本では破れた靴下を繕うことなどしないが、私が子どもの頃には、継ぎ接ぎだらけの着物を着たり、靴下を穿いたりしていた。当時の女性の労働は大変なものだった。今のように、自動炊飯器などなかったので、女は竈の前に蹲り火を焚いていたし、大きな洗濯盥で洗濯をしていた。掃除機などもなく、掃く拭く掃くの繰り返しだった。
 そんな時代にノラになろうとしていた久女は、まさしく精神的には進歩的な女でありながら、忍耐強く当時の女に求められていたことをきちんとこなした。


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