西行の足跡 その28

26「聞かずともここをせにせんほとゝぎす山田の原の杉の群立ち」 残集6
 まだ、時鳥の鳴き声を聞いてはいない。でも、ここを時鳥が鳴く場所にしよう。伊勢神宮外宮の山田の原は神杉が郡立していて、いかにもそれにふさわしい。
 
「聞かずとも聞きつといはん時鳥人笑はれにならじと思へば」 
 兼載雑談(けんさいぞうだん)源俊頼(としより)
 聞いていなくても時鳥の鳴き声を聞いたと言おう。世間の物笑いになりたくないと思うから。
 
「人笑はれにならじ」という意識は重要な美意識だったようで、『徒然草』百七段にはこうある。
  
 引用ここから
「女の物言ひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男は、ありがたきものぞとて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて、ここみられけるに、何がしの大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定めあはれけり。
すべて男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。
 引用ここまで
 
「時鳥を聞く」というのは王朝の美意識のひとつであった。「郭公や聞き給へる」と聞かれた場合の具体的な返事の仕方を「岩倉にて」と示している。また、「人笑はれ」にならないというのは美意識である。「すべて、男をば、女に笑はれぬようにおほしたつべしとぞ」。「おほしたつ」とは養育するという意味である。
 そして、「岩倉」は、神が鎮座する岩を指す「磐座」を連想させる。 
 
「生駒山手向けはこれか木のもとに磐座うちて榊立てたり」 
 永久百首・源兼昌(かねまさ)
 神の住む生駒山に手向ける幣帛はこれなのか。樹の下に祀られている磐座には榊が立ててある。
 
 ところで、「山田の原」とは伊勢神宮外宮そのものをいう。
「万代を山田の原に綾杉に風しき立てて声よばふなり」 宮河歌合1
 伊勢神宮外宮の山田の原の綾杉に、風がしきりに葺き立てている。伊勢神宮の永遠なることを言祝いで万歳を三唱しているようだ。
 
「声よばふなり」とは「山呼」という故事があるらしい。漢の武帝が崇山に登ったときに、万歳三唱が聞こえたという故事だ。
 
「声高く三笠の山ぞ呼ばふなり天の下こそ楽しかるらし」 
 拾遺・賀・仲算(ちゅうざん)
 三笠の山が村上天皇の長寿を祝って、万歳三唱の越えも高らかに鳴り響いているのが聞こえる。天下は何の問題もなく、すっかり満ち足りているらしい。
 
「杉の群立ち」の先例としては次の歌がある。
「逢坂の関まで月は照らさなむ杉の群立ち木暗いかるらむ」 公任集
 逢坂の関に辿り着くまでずっと月は照らしていて欲しい。逢坂近辺の杉林は鬱蒼としていて暗そうだから。
「山田の原の杉の群立ち」とか三笠山などと聞くと、鬱蒼とした杉林と神域のほの暗い様を思い起こすだろう。その鬱蒼とした杉林やほの暗い神域を、時鳥を聞く「瀬」とすると言うのだ。
 古代の神とふれあう行為や場を通じて西行は和歌の美意識を表現しようとしたのだろうか。

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