百人一首についての思い第三十番歌

「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」
 壬生忠岑(みぶのただみね)
 有り明けの月がとても素っ気なく見えたあの別れの日以来、私は夜明け前のまだ薄暗い時間が、とても辛く感じられるのです。
 
 How cold the face
 of the morning moon!
 Since we parted
 nothing is so miserable
 as the approaching dawn.
 
 藤原定家および藤原家隆の二人が、この歌は『古今集』集中の第一の秀歌であると断言した。
 有り明けの月が、とても素っ気なく見えた別れがあった。だから、今でも夜明け前の時間が愁いに満ちたものにしか思えない。言葉の意味としてはそんなところだろう。だが、本当にそれだけの意味しかないのだろうかと、小名木さんは考える。
 
 小名木さんはこの歌に秘められた、「どれほど辛くて悲しい憂いがあっても、男ならそれを堪えよ。辛くて悲しい憂いを腹に納めて生きろ」というメッセ―ジを読み取る。
 フーテンの寅さんの主題歌「男はつらいよ」の歌詞にある「顔で笑って腹でなく」というところだろうか。もっとも、辛いのは男だけではない。女も辛い。
 
 人間には必ず通らねばならない関門がある。就学、就労、恋愛、結婚、出産、育児、息子の嫁取り、娘を嫁がせること、老年、病、死などである。辛くないことなど何一つない。みんな辛い。
 学問が嫌いな人にとっては、学問は苦痛だ。だが、人間として学ぶべきことは学ばねばならない。働くことが嫌いな人には労働は苦痛だ。しかし、労働しないと、ご飯を食べていけない。まあ、そのほかのこともみな同様である。辛いからと言って、避けて通るわけにはいかない。つまり、人生は修行である。
 
 さて、言葉の表面上の意味ばかり追い続けても、その深い意味が理解できなければ、和歌の道など手放すほうがいい。作者が本当に言いたかったことを読み込んでこそ、詠み手と読み手の真の交流が生まれるのである。藤原定家は本当 に大天才で、最も優秀な読み手であった。
 
 

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