百人一首についての思い その52

 第五十一番歌
「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」 
 藤原実方(さねかた)朝臣
 これほどあなたのことを思っているのに、気持ちを伝えることができません。まるで伊吹山のもぐさみたいに燃え上がる私の思いを、あなたはご存じないのでしょうね。

 Because my feelings
 are too great to put into words,
 my heart blazes like the moxa
 of Mount Ibuki,
 with a love you cannot know.

 好きな女に言葉にできない思いを詠んだ歌だが、『後拾遺集』(612)には、「女にはじめてつかはしける」とある。
 こんなにあなたのことを思っているのに、気持ちが伝えられない。伊吹山の艾のように燃え上がる私の思いを、あなたは知らない。

 この歌には様々な技巧が施してあるので少し解説が必要だろう。「かくとだに」は、「こんなに」。「えやは」、不可能を表す「え」に反語の係助詞「やは」がついたもので、「どうして~できようか」という意味になる。「いぶき」は、「言う」という動詞と「伊吹」という地名をかけた。伊吹山は岐阜県と滋賀県そして栃木県にあるそうだ。「さしも草」はお灸に使われる艾のこと。「さしも」は、「そのように」。多種多様な技巧を凝らしてあるのだが、その思いは非常に素直に伝わる。

 さて、この人は左中将まで出世したが、陸奥国に左遷され、その地で逝去した。なんと、いかなる理由があろうとも暴力を振るってはならない宮中の清涼殿で、暴力を振るったのだ。宮中での暴力を憎む根底には、聖徳太子が定められた「十七条の憲法」の「和をもって貴しとなす」という、日本の伝統的価値観があるのである。

 いくら家柄が良くても、才能があっても、地位が高くても、自分を抑えられない者は、人の規範にはなれない。人の上に立つと言うことは厳しく自分を律することが求められる。このようなことを知れば、自律の大切さを理解できよう。藤原定家はこの歌を通じて、そのようなことを我々後世の日本人に伝えたかったのだろうか。ありがたいことだ。


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