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絶望を救ってくれたのは書店だった

高校一年生の春
私は野球部を辞めた。


スポーツ推薦で入学した私は一気に退学しなければならない可能性が生まれ、野球しか生きがいのなかった自分にとってまさに絶望の状況だった。


今思えばもう少し頑張るべきだったのかもしれないけど、その時は「もう無理だ」と思った。
それまで毎日見ていたプロ野球も見れなくなった。

中学生の私は勉強もろくにせず、テスト前でも勉強はしない。

唯一国語は得意だったので70点くらいをとり、それ以外は30点~50点くらい。
数学・理科にいたっては20点ほどだった。

自分には野球がある

そう思って生きていた。

高校入学後
、スポーツ推薦チームは入学式直後からグラウンドに移動して練習をしているとき、ほどなくして私はボールが投げられなくなった。

”イップス”

簡単に言うと、精神面からくる投球障害。
いざ投げようとすると腕が自由に動かなくなり、地面に叩きつけたり、逆にとんでもない方向に投げてしまう。

野球でもバッティングはあまり好きでも得意でもなく、
ただひたすら投手として投げることが好きだった自分にとってはあまりに受け入れがたい事実だった。


私立高校だったこともあり、学校側の配慮で学校には残ることができたが、1年生の間はスポーツ推薦のクラスにいなければならなかった。

スポーツ推薦のクラスなのに帰宅部。完全に異端児だった。

入学早々、野球部を辞めたやつがクラスにのうのうと残っている。
みんなが練習に行く頃、私は下校している。

恥ずかしいし、申し訳なかった。

さらには高校最初のテストも赤点
結局当時の私から野球をとったら何も残らなかった。



ありがたいことに他のクラスにもこんな自分とも仲良くしてくれる友人はいて、放課後はカラオケに行ったりボーリングをしたりゲーセンに行くこともできた。


それでもスポーツ校だったこともあり、ほとんどの生徒は部活に入っており、帰宅部は少数派だった。



そんな自分にとって、最も恐ろしいのは長期休暇。
いわゆる夏休みである。

この期間は友達もほとんどが部活。


毎日予定がない私にとって夏休みは早起きしなくていい日くらいでしかなく、楽しみでもなんでもなかった。

むしろ嫌いですらあったかもしれない。


昼過ぎまで寝て、日中は何をするでもなくゲームをしたり気分が乗ったときは軽くランニングをしたりする。

それでも体を動かさないと夜も眠れない。


なんとかして外出しなければと思い、
足しげく本屋に通った。


もともと本屋は独特のにおいと空気が好きだった。
中でも私が愛したのは紀伊国屋新宿本店。

圧倒的な書籍の数とカテゴリーの多さで何時間いても飽きない。


今ではリニューアルされ、特に1階は劇的におしゃれな構造になっていたが、私が頻繁に通っていたころはまだ規模こそ大きいが作りとしては普通の書店だった。


少しずつ野球も見れるようになったころ、最上階のスポーツコーナーでぼんやり本を見て、2階の小説コーナーで目ぼしい本を探し、気になるものがあったときは少しずつ買っていた。

1階の雑誌コーナーでは野球雑誌を立ち読みし、最後は別館の漫画館で好きな作品の最新刊や新しく読みたい漫画がないかなんとなく探していた。

まさに灰色の人生だった。

それでも本屋は居心地が良かった。


誰も周囲の人に干渉しない。
みんな自分が探している、あるいは読んでいる本の世界に入り込んでいる。

本屋の中では異端児ではなく、一般的な人間でいられる気がした。


さすがに毎日同じ本屋に行くこともできなかったので、他の紀伊国屋や近所の小さな書店を交えながら、とにかく本屋で時間を過ごしていた。



その後、少しずつ野球への関心も戻り、社会人に混じって草野球を始めた。

勉強も強烈な危機感から猛勉強をするようになり、校内テストで二年生のときは学年3位、三年時には一度だけ学年1位にもなることができた。
(ちなみに数学だけはどうしても苦手で、数学を選択で消すことができた二年生から平均点が60点→85点にまで跳ね上がった)


中学生までの私はほとんど勉強をしたことがなかったので、効率の良い勉強法がわからず。
結果、とにかく気合で勉強するしかなかった。

具体的には2学期の中間テストが終わった翌週から、期末テストに向けて勉強を開始するというもの。
この勉強も効率が良いものではなく、英語・日本史・世界史・理科はとにかく教科書の内容を頭にねじ込むというもの。


英語に至っては教科書の英文をひたすら覚えるしかなかったし、
be動詞も高校に入ってから知った。

(唯一の救いは国語は得意だったので授業を受けていれば90点近くはとれていたこと。きっとこれも紀伊国屋で本を漁っていたからなのかもしれない。)


それでも自分にはこれしかないと思い、とにかく時間をかけることで点数を伸ばしていた。


結果、模試はD判定なのに校内テストは平均点90点弱という悲しき超絶内弁慶が誕生していた。


このおかげで指定校推薦で大学に行くことができ、さらに大学では軟式野球部に入部。教職課程も履修。

大学で最高の仲間に出会うことができた。


ちなみに私は大学選びをするときに、学部は文学部と決めていた。

高校の授業で芥川龍之介の『羅生門』に感銘を受けて文学をより深く知りたいと思ったことがきっかけだったが、今思うとそれだけではなかったかもしれない。

灰色の生活を送っていた自分に居場所を作ってくれた”本”に強い思い入れがあったからなのかもしれない。









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