見出し画像

御言葉の黙想 創世記49章1節 2024年6月26日

本文:
ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。「集まりなさい。後の日にお前たちに起こることを告げよう。

黙想:
創世記をはじめとするいわゆる「モーセ五書」および「申命記系歴史家」の作品であるとされる「ヨシュア記」は、大きく分類して4つの伝承に分けられるとされている。これは古代の歴史記述としては一般的なマナーであり、その例から大きく外れるものではない。
これらの伝承を編集し文書化する積極的な動機は、バビロン捕囚にあったと思われる。神殿がない状況にあっても律法は「携帯できる祖国」として機能したであろう。このように信仰の先輩たちの努力によって、我々は律法を得たのである。
ネヘミヤ記に記されてあるように、帰還後のわりと早い時期に律法を朗読する習慣が始まったと考えられる(ネヘミヤ記8,3)。

創世記の最後は、ヤコブとヨセフの死をもって幕を閉じる。ヤコブは聖霊に導かれ、死に際に12人の息子たちを集めて遺言という形で預言を残す。神の御言葉はすなわち歴史となる。
人間の言葉にはこのような力はない。しかし、同じロゴスである(存在の類比)。それゆえに我々は言葉を発するときにあまり軽々しくすべきではない。自分の子供に無意識に発してしまった言葉一つが、子供の人生を左右することもあり得るのである。
事後預言という指摘もあるが、ヤコブの遺言はおおよそ現実化する。主を礼拝する民として言葉の使用により慎重になっていきたい(ヤコブの手紙3,6)。言葉は神を賛美するためにある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?