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御言葉の黙想 イザヤ書41章1節ー2節 2024年6月29日

本文:
島々よ、私の前で静まれ。/諸国の民よ、新たな力を得よ。/近づいて語れ。/共に裁きの場に進み出よう。
誰が東から勝利を奮い起こし/足元に呼び寄せたのか。/彼の前に諸国民を渡し/王たちを踏みにじらせ/その剣で彼らを塵のように/その弓で吹き払われたわらのようにする。

黙想:
1節の「島々」とは何か。翻訳によっては「海辺に住み人々」とある。文脈によっては「居住地」にも訳される。如何にしても諸国の民を指す言葉として理解できるだろう。
「新たな力を得よ」という部分の意味は、翻訳によってさまざまに解釈されている。語りの主体である神が「気を取り直して、こちらに近づけ。一緒に是非を論じてみよう」と仰せられる意味合いで捉えられるのではないだろうか。

2節に続くのは救い主メシアの預言である。東から勝利を起こすのは、イザヤ書の歴史的背景から考えると、古代オリエント世界の覇者「キュロス2世」を指す。彼は神に選ばれたメシアとしてイスラエルを救う(45章1節)。

新たな時代を切り開くためには主の裁きが必要である。それなしに前に進むことはできない。人間には自浄能力がない。自力ではなく、歴史という名の神の摂理によって裁かれるときに、前に進むことができる。十字架なしに救いはない。

かつて知人の宣教師が、イザヤ書の「島々」を、日本列島のことを指すものと解釈していたことを思い出す。その解釈の是非はさておき、大切なことは、今神の裁きが近づいているという事実である。
悔い改めることなしに救いはない(マルコによる福音書1,15)。

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