世の中は綺麗事で溢れている

最後にnoteを書いたのが2ヶ月前…ということで
6月は何も投稿していなかったようです。

投稿していなかった期間に、
どうやら本格的に「夏」になったようですね…

県大会に向かって燃えている運動部の3年生、
宵宮に行ってきたと語る従姉妹、
夏休みの課題が多いと愚痴をこぼす友人…

やはり私は何気ない日常から、季節の変化を感じます。

私の住んでいる地域は、暑さも湿度もマシマシで
エアコンという現代の家電の象徴に頼りに頼らなければ
1日過ごすことはほぼ不可能だと言えるでしょう…。
(私が暑いのに弱いということもありますが…)

さて、今日は何について書き殴りましょうか。

何故だかここ数週間は暗いことばかり考えてしまい、
ここ(note)だけは真面目で明るいことを書こうと
決めていたのですが、
明るいネタも思い浮かばず早2ヶ月…

どうせなら、暗いことを書いてしまえ❗❗
と、ヤケになって今に至ります。

今日の内容は、中学生の餓鬼が何言ってんだ、
と思うかもしれません。

ですが、私の中で積もりに積もった毒(愚痴)を
ここで吐かせてください。

ーーー

「世の中は綺麗事で溢れている」

時々この言葉を私は口に出します。

厨二病だと思われますが、否定はしません、
事実ですから、笑

私は小さい頃、大人が嫌いでした。

欲しい物をすぐに手に入れられる、
夢を叶えられる、
車を運転してどこへだって行ける。

そんな大人が羨ましいと感じていたのでしょう。

その思いを声にして外へ出したとき、
必ず周りの大人は
「〇〇ちゃんはまだ子供だからねぇ」
「いつかできるからねぇ」
と言います。

本当にそうでしょうか。

「将来はピアニストになりたい!」
小学校1年生の私はキラキラとした目で
意志を伝えました。

当時通っていたピアノ教室の先生は
「きっとなれるよ」
と言いました。

この「きっと」という言葉に希望を託した
子供は何億人もいるでしょう。

実際、ピアノは自分とピアノが仲良く出来なければ、
そうそう上達するものではありません。

7年間通っていましたが、
私自身ピアノと不仲でしたのでそう思っています。

音楽とはマブダチと言えるほど仲が良かったですし。

「いつか悪い事をした人には天罰が下ります」
小学校高学年の時、
担任がクラスの生徒に発した言葉です。

昔から周りに嫌われやすく、悪口も言われやすい
人間だった私にとってこの言葉は
当時、最も信じていた言葉でした。

ですが今は信じるの「し」の字もないくらいです。

私に軽い虐めをした人は、私と同じ熱力で努力しても
私以上の成績だったり、表面上の性格が良いが故に
先生に気にいられていたりと。

結局その場で問題を解決する1つのツールとして
担任は言ったわけです。

このように世の中は綺麗事で溢れかえっていると
考えています。

綺麗事は所詮、
そのときのその人を一時的に救う言葉 であり、
綺麗事を誰かに言うことは、「救われた」と感謝され
他者承認欲求を得ようとすることに過ぎないと
思っています。

あくまでも持論ですが。

そういう私も綺麗事をこぼして生きています。

これ以上辛い思いはしたくないと、
心のどこかで思っているからでしょう、
承認欲求を得たいと思っているからでしょう。

だから、今日もどこかで私は毒も綺麗事も吐きます。

皆さんはどうでしょうか。

では、またどこかで。

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