ピーチ・メルバ
ピーチメルバの夢を見た。食べていたかどうかまでは覚えていないけれど、最近特に聞いたわけでもないこの言葉がふんわり浮かんだ。目の前で何かが起こっていて、それを夢の中の自分が「これはピーチメルバだ」と確信していた。そして、目覚めた時にはピーチメルバを食べたい、と思っていた。
大学時代に心理学を少し齧った。人には数十秒もたせるための短期記憶と、長期的で容量も時間も無限な長期記憶がある。その長期記憶の棚の中に、ピーチメルバがある。そこに、何かがアクセスして道がつながったのだ。普段思い出すこともないピーチメルバへの道が。夢の中で。おもしろいな。
特別思い出があるわけでも、なんでもない。けれど思い出した。そして、そこからネットワークのように繋がった記憶を辿る。友達と食べた桃のタルト。甘いいちごミルクのドリンクも頼んだので、甘すぎない?と言われた。去年の夏のことだ。
言われた、というのも、ちょっとざっくりなので一言一句は覚えていない。でも、わたしは、その時の友達に、傷ついたのだ。ぶら下げたマタニティマークと、甘すぎない?に。
わたしは、いろいろな傷つき体験から、なかなか立ち直れていない。
だから度々思い出しては、自分の傷を撫でるように反芻する。捨てていい記憶なのに、アクセスする道は踏み固められ、どんどん太くなって、傷はついたまま。
いい記憶で満たしたい。
けど、傷ついていたっていいじゃない。
その時の桃のタルトもいちごミルクも美味しかった。またその店に行ったとき、必ずやわたしは思い出してしまうだろう。それでもやってやろうじゃないのよ、人生を。
傷ついたままでもいるわよ。
そんなふうにして、アクセスできてないだけの傷がいっぱいある。今はいえているものもある。そこにふとした思考の果てにたどり着く。そして傷つき体験は、いつでも思い出される。危険だから、2度と同じ目に会わないようにと記憶は警告する。それでもいつかまたわたしはタルトを食べにいきたい。おいしかったから。
友達には2度と会わないかもしれないけど。
傷つきながらでも生きることはできる。傷ついて生きるのだって悪いわけではないと思う。
ピーチメルバはそんなわたしへの手紙となった。
この本は、大学でお世話になった先生の書いた本。たまたま見つけたので読んでみた。対話形式で読みやすく、わかりやすかった。長期記憶とか、方略とか、大学時代を思い出して良かった。