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私と舞台の話 これでずっとバイバイだなんて言える訳ないじゃんか



こんにちは、宇佐木です。つい先日大学院を修了し、明日から完全に学生ではなくなります。

大学に入ってからの6年間は、舞台と向き合い続けた6年間でした。

私が6年間で何をしてきたのか、ちゃんと言葉にしておきたくなったので、こっそりここに残しておきます。
だいぶ長くなってしまっているので、あの、暇な方はお付き合いください。



☆大学1年 演劇部入部


東京農工大学演劇部を抜きにしては、私と演劇のことを話すことはできません。
中学高校では思うように演劇部の活動ができず、大学では絶対演劇サークルに入りたくて、大学に入るなり光の速さで入部を決めました。

演劇部は、今の私の大部分を作ってくれたと思っています。
演劇が楽しくて、まだやりたくて、そのために頑張りたかった。その強い気持ちは演劇部がなければ、同期や先輩後輩がいなければ、絶対にありえませんでした。

部活では、主に「役者」「照明」そして「演出」をしていました。
実は「演出」という役職を知った(意識した)のは大学が初めてでしたが、とにかく演劇の全部にかかわりたかったので、人一倍演出をやりたがっていました。

最後の学祭公演では演出がやりたい。1年の夏にはすでにそう思っていました。


☆大学2年 初めての外部舞台


部活で照明や演出をやるなら、役者の経験は外部でしっかり積もう。
そう思ってWS等に参加しつつ、当時観劇して衝撃を受けた劇団の公演のオーディションを受けました。

そうして2019年5月に参加させていただいたのが、劇団ベイビーベイビーベイベー『不幸探偵 a day one』です。
とにかく何もかもが初めてで、とてもとても楽しかったし、本当に勉強になりました。

私は最年少(というか未成年……未成年!?!?)だったこともあり、周りのみなさんの演技や立ち居振る舞いのすべてが新鮮でした。

何より、プロの演出を最初から最後までずっと見ていられたのが本当に本当に嬉しかった。

おこがましいのは十分承知ですが、私の演出は確実にこのときの経験の影響を受けています。


☆大学3年 コロナ禍


大学2年生の時は、かなり順調に活動できていました。新人公演で演出、学祭公演で照明と役者、企画公演では初めてダブルキャストを抱えて演出。
やりたかったこと、目標にしていたことを着実に叶えていっていました。

最後の目標、「学祭公演での演出」まであと少しだった、本当にあと一歩だったんです。


それがもう、コロナで完全に狂いました!!!!!
部活はほぼ完全にストップ、出演が決まっていた2回目のベイビーベイビーベイベーの舞台も1年の延期が決定。

この時期はとにかくしんどかったです。

そもそも演劇界もめちゃくちゃ苦しんでいて、自分の大好きなものが足元から崩れていくような気がして。

本当になんにもできませんでした。
当時は、身体中に声にならない「どうして」が詰まっているみたいで、重くて、家で寝ていることしかできませんでした。めちゃくちゃに単位も落としたし。


☆大学4年 就活


そんな状態で、2022卒の就活に突入しました。
大学院は??と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、実は学部4年生の時にも就活はしてました。

これが全然上手くいかなかった……

目標にしてたものを失ってしまったからか、ほとんどの活動ができなくなったからか、「自分のなりたいもの」がまったく分かりませんでした。

演劇を諦めてなんの関係もない企業に就職しようか。
でも私が演劇以外でやりたいことって何だろう。
舞台が好きなんだから、エンタメにかかわれる会社に就職しようか。
でも役者は? 就職したら自分の演劇は、役者は続けられないかもしれない。
役者として活動を続けるため、就職はしないことにしようか。
それだけの情熱が、才能が、覚悟が、本当に私にあるのかな。

私のやりたい演劇って、私の好きな演劇って、いったい何だったんだろう。

大学で学んではきたけど、企業で活かせるほどの専門知識もない。
演劇だって、私よりたくさん活動していて、すごい人なんてざらにいる。
結局どっちも中途半端にしてきたんじゃないのか。
私には何ができて、何が本当にやりたいんだろう。

今ならわかりますが、別に就職しても演劇できないわけじゃないし、大学で学んだことだって専門知識に限らなくて、活かせることはあったはずです。でも、当時はそれもよくわからなかった。
舞台がやりたいはずなのに、舞台だけをやる覚悟のない自分のことが許せなかった。

やりたいことが分からないまま飛び込んだ就活は、怖くて苦しかったです。
どこへ行っても自信がなくて、演劇が好きだとも、やりたいとも、もううまく言えませんでした。それが自分を偽っているみたいで、自分で自分の首を絞めていく。

「働く上で何を重視し、どんな会社を希望しますか?」

就活相談に行ってこの質問をされたとき、私の中の「わからない」が爆発して、溢れて、ひとことも話せなくなりました。

今の状態で就職はできないし、私はきっとまだ大学にいたい。ちょうどこの頃演劇をテーマに卒論に取り組み始めたこともあり、そう思うようになりました。
結局私は大学院へ進んだわけですが、それにはもう一つ、背中を押してくれたことがあります。それは、今も昔も感謝してやまない、両親の存在です。

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当時就活と並行して進んでいたのが、1年前に延期になったベイビーベイビーベイベーさんの公演の稽古でした。
経験したことのない役をいただいて、毎日が新しい挑戦の連続で、本当に充実していた。

家で日がな一日寝ていたり、かと思えば徹夜でESを書いたりしているのをずっとそばで見ていた両親にとって、生き返ったような顔で稽古に出かける私の様子は衝撃だったようです。

「本当に演劇が好きなんだね」と言って、両親は、大学院で研究をしながら演劇を続けることを認めてくれました。

演劇が好きだという気持ちにすら自信を失っていた私にとって、他の人からかけてもらう「あなたは演劇が好きなんだね」は、他のどんな言葉より嬉しかった。
当時、友人にも同じような言葉をかけてもらいましたが、今でもずっと覚えています。


☆大学4年~院1年 ACT HOUSEと激団やれたらやるわ


大学院への進学を決めたあと、今後の演劇との付き合い方をもう一度考えました。

自分は演劇を続けたいけど、就職をしないという選択肢は取れなさそうだ。それなら、やりたくなったらいつでも演劇に全力で飛び込めるよう、ちゃんと勉強してスキルをつけよう。
そう思って参加したのが、長期WSの「ACT HOUSE」です。

ここでも本当にいろんなことを考えさせてもらいました。
社会人の方がいて、これから演劇の世界に飛び込む方がいて、今までもこれからも演劇の世界にいる人がいて、私のような学生もいて。
私は私らしい立ち位置を守ればいい、そう少しだけ気楽に考えられるようになりました。

10月には、このACT HOUSEで一緒だったメンバーに誘っていただき「激団やれたらやるわ」の公演に参加しました。
2週間も公演期間があったのは初めてで、プロとして舞台を作ることの大変さ、自分が進みたい進路について、改めて考えるきっかけになりました。

実はこの頃出した結論は、「演劇の舞台は降りてもいいかもしれない」でした。
自分はきっとどこにいても舞台を好きでいられるから、役者はお休みしてもいいかも、と。

ちょうどお笑いの活動をコンスタントにやり始めた時期でもあったので、ことさらそう思ってました。

この時期の大きな変化は、「私は演劇が好きだ」と胸を張って言えるようになったことです。
私は私なりに頑張って演劇してきたし、きっとこれからもずっと好きでいる。

「愛し方がどれだけ変わっても、ひとと違っても、それが私と演劇の形であり、私の演劇の形」

当時たまにつけてたメモに書いてあったこの言葉は、今でも大事にしたいなあと思っています。


☆大学院1年夏~ アマチュアお笑い


お笑いを始めたことは、諸々の決断の大きな後押しになっています。

私は「シュガーラビット」というアマチュアコンビで1年半くらい活動しています。
アマチュアお笑いのライブには仕事をしながら舞台に立っている方がたくさんいて、みなさん本当に面白くて輝いていて。大袈裟かもしれませんが、社会人芸人さんの存在は私の希望になりました。
いつになっても舞台に立っていられる、本当の意味でそう確信したのは、お笑いを始めてからです。

相方と話していて、「我々アマチュアなんだから」という言葉をポジティブな意味で使えていることに気づいたとき、ハッとしたのをよく覚えています。(アマチュアなんだから好き勝手面白そうなこと試そうよ、って話でした)

ほんの少し前まで、その言葉は卑屈にしか使えなかったのに。
「私は結局アマチュアでしかない」ということが苦しかったのに、そんな気持ちはいつのまにかどこかへ消えてしまいました。


☆大学院1年冬 『蝉時雨』


そんな中、今の私を決定づける公演が動き始めました。ちょうど今から1年ほど前、2023年3月に行った、2023年度企画公演『蝉時雨』。

今のところ、私が演出した舞台としては集大成で最高傑作だと思っています。

この公演のそもそもの位置づけは、「引退公演ができなかった元演劇部メンバーがリベンジするための公演」でした。だから主に私の代と、そのひとつ下の代の演劇部OBOGで作った公演です。

リベンジとは言っても、もう就職してしまった人もいるし、研究が忙しくて参加できなかった人もいるし、完全に当時のリベンジができたとは今でも思っていません。
でも、そこに届かなくても、できるだけ悔いのないようにやっていました。

そういう思い出込みで、色んなことに挑戦した気概含めて、忘れられない公演です。

この公演、実はまだYoutubeで配信してます!
公開の止め時を見失っているので、よかったらこの機会に観てみてください。(私は演出を担当していますが、名義が今と違うのはご愛嬌……)


この舞台が終わったとき、「私がやってきたことは間違ってなかった」と強く思ったのを覚えています。
この公演にかかわったすべての人たちがくれた言葉や思いが、今私がここにいる意味を証明してくれたような気がしました。

同時に、もう燃え尽きるつもりでやってきたのに、まだ私は演劇がやりたかった。
一緒にやりたい人が、やってくれる人がいて、私はまだ舞台にいたい。

演劇ユニットを立ち上げようと決意したのはこのときでした。


☆大学院2年 2回目の就活


何をやってるんだという話なんですが、2回目(2024卒)の就活はこの『蝉時雨』と並行してやってました。でももう、怖くも苦しくもなかった。

何より2年前と違ったのは、

「演劇が好きでずっと力を入れてきた」
「働き始めても、舞台がやりたい」

このふたつが言えるようになったことでした。
これが言葉にできるだけで、嘘みたいに心が軽かった。

内定をもらえたとき、こう言っても受け入れてもらえたことこそが、私は嬉しかったです。


☆演劇ユニット白色矮星


そして、今も続いているのがこのユニットです。

演劇ユニット白色矮星は、大学演劇部のOBOGを中心に、私が「また演劇やりませんか?」と声をかけて作ったユニットです。
ユニットの詳細は、以前書いたnoteを見ていただけたら嬉しいです。

このユニットも、正直私はまだ働き始めてないし、いつまで続けられるかは分かりません。
ただ、一緒にやってくれそうな人がいる限り、やれるだけやってみたいと思っています。


☆これでずっとバイバイだなんて言える訳ないじゃんか


最後に。
「これでずっとバイバイだなんて言える訳ないじゃんか」は、n-bunaさんの「カーテンコールが止む前に」の歌詞の一節です。

これはちょっとだけネタバレになってしまうんですが、先に言及した2023年度企画公演『蝉時雨』にとって、「バイバイ」はかなり重要な意味を持っています。

実は『蝉時雨』ラストの「バイバイ」の台詞は、いろいろ事情があって千秋楽にしか登場していません(配信には入ってます)。
ですが、登場人物の誰にとっても、そして、過去を抱えて歩いていくすべての人にとっても、救いになればと思ってぶち込んだ台詞でした。

そして、もしかしたら、私が演劇に告げる「バイバイ」になるかも……と思っていたんですが。

全然そんなことなかった。白色矮星の旗揚げ公演まで、「カーテンコールが止む前に」を聴いては、「これでずっとバイバイだなんて言える訳ないじゃんか!!!」って思ってました。


長くなってしまいましたが、私は今のところ、いつか飽きるまで舞台にいる予定です。

演劇ユニット白色矮星を、シュガーラビットを、宇佐木結菜を、たまにでいいのでぜひ、観に来てください。舞台でお待ちしています。


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