見出し画像

【877プロジェクト】始まりの軌跡(奇跡)

数年間の試行錯誤の末、先日やっとスタートにたどり着いた。
私たちの体のためにラオスの自然のものを届けつつ、少しでも彼らの土や森を守る取り組み

。。。。な、長い。
思い切って省略しよう。

その名は

877(バナナ)プロジェクト

み、短い。

詳しくは↓

先日の投稿で早速注文してくれた人もいて、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。

この場を借りて改めてお礼申し上げます。ありがとう!感謝です!

さて、プロジェクトの詳細はひとまずホームページに任せるとして、ここではその軌跡を振り返りたい。

奇跡1 日本人との出会い

あれは確か5年ほど前、私たちは養蚕するところを探していた。
日本では見つからなかった、きれいな土で養蚕できる場所。
東南アジアをめぐった。タイのイサーン地方、インドネシアの山の中ガル、ミャンマーもベトナムも。

そして何語を話すかもわからずに、タイのイサーン地方を訪れたついでに足を延ばして踏み込んだ地がラオス南部だった。

画像1

(写真:タイ・ラオスの南部チョンメックボーダーのタイ側)

そこで最初の奇跡が起こる。
日本人の少ないラオスの、さらに人のいない日本人なんてほぼいない南部で、日本人の専門家に出会えたのだ。しかもたどり着いた初日の出来事。
JICAなどで色々と調査をされている方で、私たちは偶然今いる村の近くの村までたどり着く事になる。

そこで第二の奇跡の登場である。

第二の奇跡 桑と養蚕農家との出会い

彼の案内のお陰で、さっそく養蚕に必要な桑を育てている農家に出会えることができた。そして彼女たちはすでに養蚕をしている様子だった。残念ながらその施設では私たちの求める養蚕はできそうにはなかったのだけれど、何しろ桑がいっぱいあることは最高の出逢いだった。

画像2

しかし、私たちはここで一つの困難にであう。
偶然にも英語ができて車ももっている若者に出会い、しばらくは助かったのだけれど、この若者が中々曲者で、自分の都合のいいように嘘をつくのだ。そしてお金をせびり始める事になった。
桑の管理をお願いして、帰国した際に全く管理をせずに桑が駄目になったのが決定打。このままではいけない!と思い次の手を打とうとしたときに第3の奇跡が起こる。

第三の奇跡 今の村との出会い

私はある日、フラフラとレンタルしたバイクを走らせていた。(このときはまだレンタルだったなぁ)
どこかによさそうなところがないか。
なんてことを気にしながら。
すると、ふとバイクを止めたくなる衝動に駆られる。バイクを止めると耳鳴りがするほど静かなところ。

何往復してもやはりここで立ち止まりたくなる。

私はどうやらこの土地が気にいったようだ。

そしてそこからは書けばきりが無いほどの数の関門を乗り越えながらも、この土地で養蚕をスタートすることとなった。

画像3



そんな、なんとなく心が留まったその土地で困難を超えながらスタートしたのだけれど、これが大正解。この村の人たちがとっても真面目な人たちだったのだ。
中でも今も一生懸命働いてくれるオンとの出会いは最高の奇跡だった。

オンに出会う前、働き手を探していた私たちは、ある日仕事のお願いをしようとある村人と待ち合わせをしていた。ところがその時間には彼はいなかった。どうやら山に出かけてしまっていたらしい。

その待ち合わせ場所の傍らで座っていたのが彼だった。

その真面目そうな眼を見て、私は気が付いたら「いっしょに働かないか?」と尋ねていた。彼は言葉少なにただうなずいた。

ラオスにおいて、この出会いは奇跡と言える。もし彼と出会ってなければラオスでの養蚕は断念していたかもしれない。それくらい懸命に仕事をしてくれる。

そして、そんな彼の懸命な管理のお陰で桑は元気を取り戻し始めた。それと同時に第4の奇跡が起こる。
夜警としてやってきてくれた、彼のおじさんのウォンの登場だ。

第4の奇跡 森のメンター ウォンとの出会い

ウォンは森の住人で博識。ラオスの自然のことは何でも知っている。
そして、彼が野や山からもってくるもののパワーに私たちは圧倒されることになる。
何もしないで育つ地元の植物。
彼はまるで自然と同化するようにほんの少し植物に手を加える。
そしてその自然の一部をいただきながら逞しく生きている。

画像4

彼の届けてくれる果物や野菜、山菜のパワーは本当に驚くものがあった。

この自然の力を届けたい!と思うようになったのは彼の力が大きい。

一方でそんな自然の力が失われ始めていることも知ることとなる。
キャッサバ農園の広がりが目に見えて増えていて、文字通り森がバナナが焼かれるのを目の当たりにし始めたのもこのころ。

画像5

もったいない!

試行錯誤の日々

さて、時間は少しもどる。
ラオスに来る前、感染症が始まる前から、私は自給自足に興味を持っていた
食べ物とエネルギーと水さえ確保出来たら、もっと自由で豊かな心で日々をすごせるのではないか?と思っていたのだ

だからラオスに来た時から、色々な種を植えて育ててみていた。
しかし、どれもどうもうまく育たない。
勿論私が素人ってのもあるんだろうけれど、せっかく自由で豊かな心で過ごそうとおもっても、農作物の奴隷にはなりたくなかったから、世話をしないってのがテーマにあったからだ。(ただのめんどくさがり屋さんというわけなんだけれどね)

本当に色んな種を試した。以前にも書いたかもしれないけれど、なん十種類もの種を試した。

そしてちょうどコロがはやる前くらいにはなんとなく土地に合った植物がわかってきて、「食べる森」と称し、いくつかの果物やハーブを混雑に植えて無事育つか試験するに至る。



ちなみに、この取り組みは別に高尚なものでもなんでもなく、
「自然が勝手に食べ物をつくってくれるといいなぁ」
というなんとも手抜きでめんどくさがりやの取り組みである。

加工も色々してみた。発酵させてみたり、干してみたり。

。。。ん?色々してないかも。

なにせ手を一杯加えるのはめんどくさかったからなるべくシンプルに加工した。それにそれほど気にいる材料や調味料があるわけでもなかった。まぁ相当色んな種類では加工をしてみたんだけれどね。

ハーブを干してみたり、パパイヤを発酵させてみたり、グァバでコンポートにしてみたり・・・。そして人体実験よろしく体がどう変化するかを観察し続けた。

そんな時(この時はまだ気づいていないが)第5の奇跡が起こる。

第5の奇跡 紅バナナとの出会い

このころには、私はすっかり彼らと打ち解けていた。
一緒にご飯をたべ、虫をたべ、唐辛子に咳き込み、笑い笑われる関係ができていた。
ウォンは何か採れると持ってきてくれるようになった。そしてその中の一つに紅バナナがあった。

画像6

「なにこれ!?」
「バナナ、蒸したバナナ、干したバナナ」

意味わからずに食べると美味しい!

「これいいじゃん!」

まだまだ続く試行錯誤

これいいじゃん!となってからも長かった。
何せバナナのこと何も知らないのだ。

いつが時期なのか?
いつ熟すのか?

バナナの品種がこんなにもあるのか!?

年に何回みのるんだ?
どうやって増やせるんだ!?

一つ一つ解決をしていく。
一歩一歩。
自然の事は今日やって明日わかるわけではない。
概ね1年から数年後になる。

それでも一つづつ解決していく。

干す時間や蒸す時間でも随分と味が変わる。
味が変わるだけならまだいいけど、赤くならないことも多々。
なんでだ!?
どのタイミングだといいんだ!?
もう一度実験しよう!・・・ってなぜこんな時に限ってバナナないんだ!

なんてことを繰り返し試行錯誤がつづく。

そしてとうとうたどり着く。これならいい!と思える紅バナナに。

第6の奇跡 人の助け

私の取り組みがここまでこれたのは、紅バナナに行き着く前に完熟バナナパウダーで応援してくれた人たちがいたからだ。パウダーはまだ研究の余地があり、日々こちらも実験しているものの、おかげで色々とわかることができた。次へのチャレンジへ向かうきっかけとなった。

そして紅バナナのことを相談すると、また応援してくれる人が出てきた。

私はなんでも一人でやるんだ!って変に意地を張ってしまうタイプだけれど、ここにきて、人を頼ることを覚えた。

一人でできる事なんてたかが知れている。
人との出会いは本当に多くのパワーを与えてくれる。

先日はモジプールさんという三重のミュージシャンが自信の音声配信にゲストとして読んでくれて、ロゴを作ってくれることとなった。(ちなみにトップの画像はそのロゴではない。現在制作中)
なみだものの奇跡である。

その時の様子はこちら。


つたない私の発信に、さっそく予約してくれた人がいる。
応援のコメントをくれた人がいる。

どれもどれもパワーとなって、奇跡がこの地にやってきている。
本当に感謝してもしきれない。


私たちは日々奇跡の連続に生きている。
この奇跡のパワーをラオスに届けたい。


今日もこの記事を読んでいただいたあなたとの奇跡の出会いに感謝です。

長文読んでいただきありがとうございました。

・・・・・・・

877プロジェクトホームページ

877プロジェクトフェースブックページ



この記事が参加している募集

サポート頂いた場合は、食べれる森作りを中心に、南ラオスの自然を大切にする農場スタッフのための何かに還元させてもらいます。