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「伝え方が9割」

少女漫画の世界ではだいたい「初めてのデートのために背伸びして可愛いパンプスかハイヒールを買い、途中でマメだらけになって歩けなくなって、彼氏が『気づかなくてごめん』と優しく手当てする」、ところまでが定石だ。おんぶして帰る、他の靴を買ってくるなどのオプションも存在する。それを学びにしたラオ子の初デートは、迷惑をかけまいとライブ用のハイカットのスニーカーで参戦。我ながら完璧だ。

そんな女子の『ときに憧れ、ときにやっかい』なパンプスと性差別をめぐる問題がTwitterで流れてくるのを見て、ごちゃごちゃと思ったことがあったので、ごちゃごちゃと思ったまま書きたいと思う。

なお、私は「パンプスを強制されない職場環境」が整うことについては大いに賛成するが、それを性差別だとし、権利を侵害されているという主張については何一つ理解できない。特に反論を受け誰かと戦う気もなければ、私の意見を押し付ける気もない。

ウェディング業界で働いていろんな式を見てきた私の友人、披露宴の招待状には、スニーカーでお越しくださいと書いてあった。新郎新婦も、真っ白なスニーカーをLEDでぴっかぴかに光らせた。他にも、新郎新婦の好きな色を身に着ける、会場で配布されたピカピカグッズを身に着けるなど、形式に囚われない、とにかく自由で溢れた式だった。私は、一緒に招待されていた彼とお揃いのオニツカタイガーの真っ白なスニーカーに、新郎新婦の好きな色の靴紐を通し、光るピアスに光るサングラス、彼も光るネクタイと光るサングラスを身に着けて受付の役をさせてもらった。途中でカホンを叩く役を貰っていたため、ドレスではなくサロペット。とにかく楽な格好だった。

それにしてもスニーカーは偉大だ。いくらでも立ち歩いて、写真を撮って、料理を楽しめた。私も自分の披露宴は、民族衣装とか、舞台衣装とか、一番イカした格好で、一番楽しめる格好で来てもらえるような場所にしたいと思った。主役の価値観で今までの「披露宴」の概念を覆し、こんな風に自由に居られる世界は最高だと思った。

一方、私も実は高校生のころ、披露宴会場でアルバイトしていたことがある。ヘルニアもちでローファーすらほとんど履いたことがなかった私が生まれて初めてパンプスを履いたのはこの時だ。1日中立ちっぱなしで、重たい食器を持って毛足の長い絨毯を何往復もし、設営、給仕、後片付けを行う。絨毯の上はワゴンが使えないので、想像以上の重労働だ。帰ったころには足が棒のようになっていて、夜中に両足が攣って目が覚めることもあった。それでもお客様の前で常に「フォーマル」な服装を要求される場所で働いていた身としては、お客さまがフォーマルで来られるのであれば、働く側ももちろん敬意を払ってフォーマルであるべきだと思っている。長年の剣道の稽古で作った巨大なマメをパンプスにねじ込んで1日中働くのは、生まれて初めてパンプスを履いた高校生の私には拷問だったし、未だにパンプスを履いたら剣道マメがじくじくと痛むから、パンプスは好きではない。でも、私はパンプスがフォーマルなら、フォーマルな場所ではパンプスを履く。

冠婚葬祭はじめホテルや航空会社、化粧品メーカー、百貨店など、ブランドイメージや格式が必要とされる場所であれば、当然そこで働く人たちの服装はフォーマルであって然るべきだ。引っ越し屋さんが真っ白な靴下を履くように、医療従事者が清潔な服装で居るように、TPO的にそうであるなら、パンプスが必要なところでは、パンプスを履くべきだ。何度も同じことを言うが、今の時代の女性のフォーマルが「パンプス」ならば、格式、高級感、ブランドイメージを保つため、相手への敬意を示すには、パンプスが必要だ。

それを、あたかも社会や上司の思慮や倫理感が無いことが問題であるかのように地雷ワードを叩き込んで、相手を不愉快にして扱いづらいコトバで叩きまくりながら炎上商法的に主張を貫き通そうとするやり方は、いまいち解せない。

個人の権利を受け入れてスニーカーやサンダルを受け入れたとしても、「格式のある場所」に価値を感じてお金を払う顧客や、「フォーマル」というものが大切にされている取引先の相手に受け入れられなければ、それは間違いなく会社の不利益になる。見た目が人に与える印象はあまりにも大きい。それに、会社は利益をあげないと成り立たない。だから、その会社だけを、上司だけを、袋叩きにするというのは、私は全然イケてないと思う。自分が交通事故に遭ったからと、車社会そのものを批判しているかのような、論理の破綻を感じるのだ。

もう一つ言うならば、男性だって、重くて、靴擦れして、暑苦しいのに高い革靴で日々仕事をしている。ドラッグストアで働いていたとき、安全靴や革靴の男性からのお薬の相談は非常に多かった。原因は明確なのに、風通しの良い靴を履いてくださいね、とも言えない。それができるならやっているだろうと言われるのは分かっているし、理想だけを言うのが寄り添った接客とも言えない。

男も女も等しく我慢しろと言っているのではない。つまり、順序の理解と主張の仕方の問題だ。

「履物が男女で違うということを忘れないでほしい」という主張にも私は疑問で、極端かもしれないが「じゃあ売ってるモノのデザインがすべてユニセックスになれば満足なの?」と聞いてみたくなる。かの主張にはたくさんの働く女性からの支持がある。実際にパンプス文化がなくなれば満員電車も雨の日も女性の足の負担は減るのかもしれない。ドラッグストアでは、インソールや靴擦れ防止グッズについて接客する機会も減るかもしれない。でも冒頭でも述べた通り、ここぞというときには足の裏がマメだらけになってもパンプスを履きたいときだってある。それは「性差別」ではなく「性差」だと思う。パンプスは、女性の人権が蔑ろにされたため生まれたデザインではなく、ヒールを高くして足を細く、長く見せるという、女性が女性らしくあるために生まれたものだ。浴衣や着物と同じようなものではないかと私は思っている。その「女性らしさ」という考えそのものが現代社会におけるフェミニズムを蔑ろにしているとするならば、社会通念や価値観や文化は常に変化し続けるものだという本質を理解するところからやり直したほうが良い。

「フォーマルな場ではパンプス」という考えが社会に広く浸透し、常識となった結果、女性労働者はパンプスを履くようになり、その時間が長くなり、外反母趾、腰痛、といった健康被害を生んでいる。という主張であれば、今まで変わるきっかけがなかっただけの話だ。保育園の先生がスニーカーを履くのも、ドラッグストアで私がスケッチャーズを履いていたのにも、食品加工の現場で長靴を履くのにも、等しく意味がある。そしてパンプスが必要だとされる職場にも、フォーマルであることの意味があっただけのことだと思うのだ。それに、どのお洒落雑誌を開いても可愛いパンプスが取り上げられていて、お店に行ったら、春にはパステルカラーの、秋にはボルドーやネイビーの可愛いパンプスが一番目立つところにディスプレイされお洒落女子の心を打ち抜く「魅力」があるのも事実である。そして街中はパンプス女子で溢れている。なのに突然「健康被害だ!人権侵害だ!気持ちが分からないなら履いてみろ!」と言われるのはあまりに理不尽だし論理が破綻しているように思えて、一番シンプルに私の気持ちを表現するなら、彼らが可哀想だ。

パンプスがフォーマルなのは差別でもなんでもない。ならば会社で働く場合の「フォーマル」というものの概念を変えていくのが正攻法ではないか。炎上商法的に世論を煽動するのが手っ取り早くていいのかもしれないが、突然「性差別」だと声高に権利を主張してしまうのは、やり方を間違っている。

そこで、数年前に大ヒットした佐々木圭一さんの著書「伝え方が9割」を読み直して、自分なりに職場でのパンプス強制廃止について考えてみた。

この著書の中で取り上げられているのは①イエスをノーに変えるテクニック、②強いコトバをつくる技術、の2つである。差別、権利と言われれば、強いコトバの最上級な気もしなくもないが、目的が果たせないコトバは何の意味も持たない。

まず相手のイエスを引き出すための前提条件は、①思っていることをストレートに口にせず、②想像力を働かせ、③相手のメリットと一致するお願いをする、この3つだ。社会の風潮として今までそうあったものを突然性差別だと言って批判に変え、強いコトバを浴びせるのは、どう考えても想像力に欠ける。パンプスを履けと指示したのは上司かもしれないが、その社会通念を作ったのは上司ではない。もしも男性の部下が突然島ぞうりにTシャツ短パンでやってきて「強制するのは人権侵害だ、これは権利だ、差別するな」と言ってきたら私は片頭痛で早退すると思う。それに、このお願いを聞き入れたとしてメリットは何一つ無い。部下の一人もしつけられない人間だと思われるだけだ。

ではどう伝えるか。著書で取り上げられている「イエスにかえる7つの切り口」のアプローチでそれぞれ例を考えてみたいと思う。

1.「相手の好きなこと」から言葉をつくる→生産性30%あげるのでスニーカー履かせてもらえませんか?

2.「選択の自由」を与えられる→パンプスじゃないほうが働きやすいんですけど、スニーカーとぺたんこ靴だったらどっちが失礼にあたらないですか?

3.「認められたい欲」を利用する→これを進言して会社を変えられるのは部長だけだと思うんです!

4.「あなた限定」で心を満たす→部長にしか相談できないことなんですけど、

5.「チームワーク化」で一緒に動く→女子皆でペタ靴にしたいと話しているんですが、男性陣もレザースニーカーに変えてみませんか??

6.「嫌いな事回避」で選択を導く→このままだと外反母趾の手術とリハビリで休まないといけないので、

7.「感謝」で断りにくくする→聞いてくださってありがとうございます!

まとめると、「いきなりですみません、部長にしか相談できないことなんですけど、実は最近足が痛くて病院に行ったら、パンプスの履きすぎで外反母趾が悪化したらしく、矯正具を付けることになったんです。それで、しばらくパンプスが履けないんですけど、パンプスみたいなかかとのない靴か、レザースニーカーだったら、どちらが失礼にあたりませんか?それと、部署の女性みんな同じような悩みを抱えていて、部長だったら進言してもらえるんじゃないかって思ってるんです。そのほうが生産性もあがると思います。ついでに男性陣も、レザースニーカーに変えて、新しい風起こしませんか?聞いてもらってありがとうございます!!部長なら分かってもらえると思ってました!!!」と一息で全部言い切った瞬間にきらきらの眩しい笑顔でパンプスをゴミ箱に叩き込み、かわりに取り出したヒールの無い機能的かつ常識的な靴を履くのがセオリーだ。

そんなんうまくいくかこの野郎、日本の社会はそう簡単じゃない、と思いながら読んだ人は、せいぜい自分を正当化する強い言葉を使って権利を振りかざしていればよい。それがうまくいくかどうかは別として。言いたいのは「こういう伝え方をしたら解決できますよ~」という事ではなく、2013年に大ヒットしたこの著書のセオリーには、どこにも「モラルやハラスメントに敏感な現代社会で、差別という言葉を引き金に自分の主張を撃ちまくる」という方法論が載っていないということだ。人権意識を高く持ち弱者を守ろうとするのは良いことだが、今まであったものだからそうしているだけの人に突然噛みついても、軋轢以外何も生まれないばかりか、無実の罪人が増える一方だ。

それならばジョンジョンのスニ活みたいなアプローチのほうがよほど生産性があり、建設的だ。こういう企業を世間が賞賛し、これが新たなスタンダードになっていくほうが、健全である。

カーネギーは人を動かす3原則の一つ目で「相手を批判しない」と言っているし、坂本龍馬だって「人は利で動く」と言っている。結局、立場は違っても、相手は人だ。実際に声を上げ、2万を超える署名を集めて国会で議論されるまでになったことは賞賛に値するが、「あなたとこの会社がしている性差別について話があります」なんて恐ろしいことをネット社会で顔と名前まで出して言えるのであれば、それ以外にもいくらでも伝え方はあるはずだと思う。「怒り」はすぐに着火するお手軽なエネルギー源だが、それマイナスのエネルギーに引火するのはマイナスのエネルギーだけだと私は思っている。

つまるところ、本質を正しく伝える力となるのは、「伝え方」を「9割」だとしたときの「残り1割」として考えられそうな、「人間性」「相手への配慮、リスペクト」「アイデア」「熱意」「それまで築いてきた関係」「愛」そして「伝えたいことを、伝わるように伝えようとする気持ち」ではないだろうか。

私はそうだと信じて人と向き合い、なにかを一緒に成していける人間になりたい。9割を使って伝える1割の部分を、磨きたい。


・・・そんな私の仕事靴は

KEENのサンダルである。これにラオスの民族衣装(シルクに金糸の入った巻きスカート)で活動している。

KEENは、通気性、靴底の厚さ、ソールの形状、耐久性、どれも申し分なく、つま先の保護が出来て簡単に脱げないためバイクに乗るときも安心。靴擦れはもちろんしたことが無いし、鼻緒がついたタイプのサンダルと違い指の間も痛くならない。生地が厚いのでスコールに降られたあと乾きが少し遅いのと、この隙間の形のままシマウマみたいに「KEEN焼け」する事以外は何一つ不便していない。

日本に帰って企業で働くなら、KEEN履いて通勤したとき「おっ!気合入ってんな!!」って言ってもらえるような会社で働きたい。

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