しにたくなってるだけのこと

お久しぶりになりました。
何度も記事を書こうとしていたのですがうまく書けず。

自分に対して、旦那さんに対して、また自分を中心としたときの環境について
あの日から1年と半年ほど経ってしまい、当時から「変わりたくない」と言い続けていた私も
善悪はなくただシンプルに「変わった」と感じざるを得なくなりました。

スマホにある旦那さんの画像や動画を見てはちょっと笑ったり泣いたりしていたけど、今になって見るのが怖くなってしまった
旦那さんの名前を呼んでいたいと思っていたのに、自分から発せられる彼の名前が遠くに感じてしまった

この先何十年の人生に絶望して「しにたい」と呟いていたけれど

今はとにかく楽になりたいとしか思えず希望に近い気持ちを持って「しにたい」と言っている

同じように結婚して同じように生活していた夫婦なのに、わたし達はしに別れ、別の夫婦は新しい命を宿し。
私達と何が違ったのだろう、なぜ私達じゃなくてはいけなかったのだろうと
きっと誰にも理解されないような苦しみから、もういい加減に解放されたい

「しにたい」と正直な気持ちすらネット上でしか呟けず
現実には誰かの迷惑にならないように、誰かの気に障らないように、いつもと変わらないように努めていく

それは周りの理解がないとかではなく、
正直に全て話したところで旦那さんが返ってくるわけでも、何か状況が少しでも良くなるわけでもないことがわかっているから。

吐き出せば一瞬気持ちは楽になるのだろう
その一瞬のための力すら、もう残ってはいない。

ちょっとの買い物で気が紛れればと、SNSで見かけたスキンケアやコスメを買う
集中できるものがあればとゲームをしてみる

当初から変わらず、だましだまし毎日過ごしている。

つかれたなあ。

砂のようにぶわぁって散りたい。



生産性のかけらもない記事をひっそり書いている。笑
備忘録のようなものなので、ひたすら主観です。
最近落ち込みがひどいので整理したくて書きました。

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