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無言の自己主張

”人それぞれ”
”好みの問題”
”みんな違ってみんな良い”

誰のことも傷つけないいい言葉だと思います。

わたしも否定されたくないし、自分と違う価値観を持った人に出会っても
基本的には(違う人種なんだな・・・・)くらいで済ませるようにしていました。

自分が死別しマイノリティ側になったことで
昔は人と交流する話のネタくらいに思っていたプライベートなことが
人によっては触れられたくない地雷なのだと知ることになりました。

自分の意見は持ってるけれど開示も主張もしない方が良い
自我が時に人を傷つけ困らせることもあると
この数年で散々身に沁みてしまい。

すると人との会話がどんどんくだらないことに思えたり
時には害だと思ったりするようになり
今好きなことは自分の身体的な整理(美容とかストレッチとか食に関すること)だったり
家のハムスター眺めたり他所の猫お世話したりすることです。

人の会話・意見が飛び交うような場所には全く近寄らなくなりました。

なんだか他人に関しては全てを諦めているような人間になってしまい
SNS等で見かける主張・討論も遠い世界のようで
ほんっとうにつまらねぇ人間だなと思ったので
今の自分の状態や考えを自己主張として
久しぶりにnoteを書いてみた次第です。

noteの間が少し開いたのも
自分の考えはあれど開示する必要性がわからない、と思ってしまい
下書きはいっぱいあるけれど公開に進みはしませんでした。


本当は色々思ってる。


もし近くにあまり意見を主張してこないような人がいたとしたら
それは引っ込み思案なのではなく
その人なりに空気を読んでいるとか
はたまた、その場がまるごとその人に合ってないとか
いろんな可能性を探ってほしいなと思います。

例えば「最近ダイエットのために自炊してる」という話題一つで
・前はどのように食事調達していたか
・何人分作っているのか(何人家族なのか)
など、話題が広がっていく可能性を考えたら
死別している人にとっては、経緯を自分の中で連想するはずなので
(この話題は避けよう)となります。
わたしはなりました。

ならない人もいると思いますが
想像力が激しいとわりと陥るのでは?と思います。


そんな感じで会話することが疲れるので
今は自分と動物にだけ興味を持って生活してます。

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