見出し画像

さぁ、何語を勉強すべき?その国の音楽が好きならGO!

英語の音楽が好き→英語学習スタート
中国語の音楽が好き→中国語学習スタート
スペイン語の音楽が好き→スペイン語を始めよう!

こんにちは、ゆうです。何か新しい言語を始めたいけど何語を勉強しようか……と迷っている方むけの記事で、伝えたいことはただ1つ、とてもシンプルです。

「その国の音楽が好きなら、その言語の学習を始めちゃいましょう!」

そんな決め方で良いのか?と思われるかもしれません。

この記事を読み終えていることには、安心してそう言えるようになっているはずです。

現代風に言い換えれば、その言語とフィーリングが合うかを判定するのに音楽がオススメ、となるでしょうか。後で詳しく書きますが、民族音楽が最も良い判定材料になります。

大事ですよ、フィーリングが合うかどうかは!

その国の音楽が心地よいのは、その言語と相性が良いから


語学を生涯学習するのは相性の良い人と添い遂げる感覚と似ています。想像してみてください、長年一緒に居たい人を選ぶ時、相性の良し悪しは大事ですよね。

本ブログでよく言うように、語学は習慣の産物です。多くの時間を割くことになります。「一生学んでいたい!」と強烈に思える言語を探すコツ….それが学習したい言語の民族音楽なのです。

画像1


1.実用性よりもフィーリングで選んだほうが長続きする

語学学習にも人間関係にも、共通して大事なのは長続きするということではないでしょうか?長続きしないことは、語学なら「挫折」と呼び、人間関係なら「絶交」と言えるでしょう。

人間関係において長続きするかしないか、下のどちらが判断材料になるでしょうか?

・実用性、スペック
・相性、フィーリング


私なら、後者の「相性・フィーリング」と答えます。

祖父母の家庭でも、親戚の家庭でも、仲睦まじい夫婦はおおかた相性が良いかったりしませんか?

反対に、実利を求めて一緒になっている人々は長期的な関係性を築き上げるのは苦心するようです。「金の切れ目が縁の切れ目」という諺が全てを物語っている気がします。


それでは語学学習において実利とは何でしょうか?


その言語を習得したらどれだけ便利になるか、だと思います。例えば

・ビジネスで便利そうだから中国語を勉強する
・英語が話せれば潜在的に数億人と話せる
・スペイン語は世界で三番目に話されているから勉強したい


これらも正当な学習動機だと思いますが、果たして学習者の何%がモチベーションが長続きするでしょうか。心変わりや鞍替えが頻繁に起こると私は思っています。なぜなら、実利が動機になっている場合、上位の実利に簡単に流れていくからです。例を上げれば、今の時代英語よりも中国語のほうが稼げると聞いたら、英語は軽く見捨てて中国語の方に飛びつくことでしょう。「言語浮気」なんて風に呼んでもいいかもですね(笑)。

画像2


それだけではなく、上位の実利には誘惑も含まれます。例えば、英語の勉強は脳に負担だから、スマホでゲームして負荷から逃げたいというのは、上位の実利です。

なぜか?

それは、快楽は実利だからです。英語の勉強しているよりも、スマホでゲームしている方が、脳にとっては快楽で、それが実利として脳に認識されてしまうのです….このご時世、勉強するって難しいですよね。


こんな風に考えていったら、相性の良い人間関係を作りたい時、実利を最優先事項にするのはちょっと怖くないですか?


ならば語学学習も同じはず…


学習している言語がもし実利以上に、相性によって結ばれていれば長続きする気がしませんか?



2.言葉は音、音は波。だから波長が合うかは大事

相性について語る時「波長が合う」という言い方がよくされます。

物理学的に考えればこの世の一切合切は振動している、つまりは波であると。光も音も振動だし、私達の体を構成している数々の原子も結局振動しています。そんな無数の大小の波の足し算引き算の結果を相性と名付けて、その良し悪しを「波長が合う」という言葉で表していると私は思うのです。

画像3

さて、どんな単語も、どんな文法も、話すときは音という形をとります。私達人間の思考は言語によってなされますが、日本語を話す私達の脳の中では思考中常に日本語の自分の声が流れており、脳内音声として心はそれを聞くことになるわけです。

この「脳内音声と自分の心の波長が合うかどうか」が鍵だと思います。


口から言葉を発していない時も、意識の水面下では、心は思考する言語を聞き続けています。結果、長い長い時間をその言語と一緒に過ごすことになります。

日常生活でも、波長が悪い相手と過ごす時間は苦痛ではありませんか?

それと同じくして、波長の悪い言語と一緒に過ごすことは心にとって大変な負荷だと言えます。


学ぶ言語との相性が大事だということが、これで腑に落ちませんか?


ちなみに私自身が学びたい言語を選ぶ時、相性を無視して実利によって選んだ言語が1つあります。スペイン語です。4ヶ月で挫折しました。スペイン語を学べば、更に多くの人と潜在的にコミュニケーションができる、と思ったから選んだのですが、各種誘惑に負け結局頓挫しました。

そんなわけで、英語学習の動機をTOEICなどの実利・実用の中に求めることはあまりオススメいたしません。

実利など愛に比べたら到底儚い。

愛が勝利、だから相性。


3.民族音楽は、その言語の魂と共鳴できるかを判断できる

脳内音声を心は四六時中聞いていなければならないとすると、その言語のリズム感が耳にとって、または、心の中にある耳にとって心地よいかが鍵になります。

その判定法が、その国の言語の音楽が好きかどうか

そして、音楽の中に民族性が最も出るのは民謡なので、民謡を判定材料として使用するのが良いでしょう。もちろん、民謡ではなくとも、その民族独特のリズムやスピリットが感じられるような曲であればジャンルは問なくても良いはず。

・日本なら、春の海、赤とんぼ、ふるさと、夕焼け小焼け、島唄
・中国なら、茉莉花、月亮代表我的心、周杰伦、二胡や琵琶あたり
・オーストラリアなら、Walting Matilda

などなど。

私は相性とは魂の共鳴度合いだと考えます。究極の相性の良い人のことをソウルメイトと呼ぶように、相性は魂レベルで合うかどうかについての尺度ではないでしょうか。

画像4

それが”共鳴”であるからには、相性の判定にはやはり音が使え、民族音楽にその民族の魂が込められていると考えるならば。民族音楽と魂レベルの共鳴ができるかどうかが、何語を勉強したら長続きするかを判断する上で一番確かではないか、と私は思うのです。


まとめ

私達は言語を使って思考する生き物で、心は脳内音声を絶えず聞かなければなりません。心は言語と長い時間お付き合いしますから、学びたい言語を選ぶことは、伴侶を選ぶのと似ています。伴侶はどう選ぶのか?実利によってか、相性によってか?私は、「長続きするかどうか」という視点で見れば、相性によって選ぶほうが良いと考えます。そして、学びたい言語と相性が良いかどうかは、その国の音楽、とくに民族音楽が心の耳にとって心地よいかどうかで決まるではないのかと思うわけです。


おまけ

本記事と関連のある過去記事を何本か載せておきますので、もう少し掘り下げてみたい方は参考になるかもしれません。


英語学習の終点はどこか?


辞書を愛してしまった。


言葉は火かもしれない説


1言語1人格。語学だけで終わらない語学の学習を始めとして、留学・海外生活について投稿しています。フォローしていただくと、語学の勉強が楽しくなります。