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1言語1世界観。マルチリンガルの世界観を知れば、生きている内に生まれ変われる!?

こんにちは、ゆうです。「4言語も5言語も話せるマルチリンガルの頭の中ってどうなっているの?」という声を多数頂いたので、今日はマルチリンガルの世界観を図解していきたいと思います。

この記事を読み終わることにはタイトルに書いてある「1言語1世界観」という不思議な感覚が、スッキリ分かるはずです!

それではまず、「言語」とは何かを一緒に考えてみましょう。

例えば、下の写真のようなライブ会場にいるとします。

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みんな動画を撮っていますよね。
そしてこれこそが、言語です。

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画面の数だけ世界観がある。

みんな同じものを見ているけど、見る角度によって、スマホに映っているものは違いますよね。

このスマホを言語に例えてみましょう。

すると、言語が「世界」を見るフィルターとしての役割を果たしていると言えますよね。

日本語視点があり、英語視点があり、中国語視点があり。

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言語とは、立ち位置。
言い換えたら、世界観です。

だから、同じものを見ているつもりでも、言語によって、そして出身国によって、捉え方が変わってしまう。色んな思想がある。

だから、国際理解はこんなにも難しいし、こんなにも楽しい!



1.マルチリンガルの頭の中を解剖してみた


冒頭のざっくりとした説明で、なんとな~く私の言いたいことが伝わったかも知れませんが、もう一度振り出しに戻って考えてみましょう。


「たくさんの言語を話せる人は、どういう風にこの世界が見えているのだろう?」

今度は下の「言語カメラ論」を使って説明してみたいと思います。(勝手にわたしが名付けました。)

想像してみてください。

部屋の中に、カメラが4台あります。
そしてその4台は同じ所を向いています。
しかしカメラの位置が違うので、違った映像が4つ得られます。


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マルチリンガルの人は、

・4つ同時に観ることができる
・何個か選択して観ることができる


これがマルチリンガルの人が生きている世界です。
彼らは1人で、最大4つの世界を"同時に"生きているわけです。


それにしても、

1人で複数の世界観を持つことに何かメリットがあるのか?
と思われるかもしれません。


私ならこう答えます。


「共感できる世界観が増え、より多くの種類の人と分かり合えるから、人生の総合満足度が上がるんじゃないか。」

英語の視点からの見方に対して「うん、そうだね、分かるよ」と、彼らを理解を分かち合える。

中国語の視点からの見方に対して「うん、そうだね、分かるよ」と、彼らを理解を分かち合える。

などなど。

こう考えると、
世の中には、「正義」と「悪」という概念がありますが、そんなのはただの視点の対立にしか過ぎないんじゃないか?

ある角度から見たら、それは「正義」だし、別の角度から見たら「悪」になりうる。そして、お互いの主張を押し通そうとするから、なんだかギクシャクして生きにくくなる。

リアルな例をあげたら、仏教とキリスト教の対立。
キリスト教とイスラム教の対立。

小学生の図工で見る絵を例を挙げたら、下の「ウサギとアヒルの騙し絵」を見て、「ウサギだ!」と言って譲らなかったり、「アヒルだ!」と言って譲らなかったりしていることでしょうか。

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ちょっと話がそれましたね。

結局何が言いたいのか?

たくさんの視点を持つと…

・どちらの主張をする人とも仲良くなれ、交友が広がる
・複数の視点を知っているので自分にとって納得できる世界観を選択できる
・次の章で書くように、生きている内に生まれ変われるようになる

なんだか楽しそうになってきましたね!?

最後の生きている内に生まれ変わるとは、一体どのようなことを指すのでしょうか?


2.語学で、生きている内に生まれ変わろう


最初に、大雑把に結論を書くと、使う言語を変えると生き方が変わります

さらに大雑把に理由を箇条書きにすれば下のようになります。

・言語とは世界観です。
・世界観を共にした団体が、国です。
・国には常識があります。
・その常識が生き方を規定します。
・つまり、言語は生き方を規定します。

文の形で表すと、言語がその人の世界観を作って、そんな個人たちの集まりが国になって、そこから常識が生まれて、通常その常識に縛られて生きていくから、大元をたどれば、私達は言語によって縛られて生きているんだ、と。

これって、言語は可能性でもあり、制限でもあるってことじゃないですか?

日本語を話す人が、日本語の世界観の中で生きているということは、

日本語しか話せない人は、日本語の世界観の中でしか生きることができないと言えるんじゃないか。

仕事を例にとって考えてみます。

日本では、長時間労働、サービス残業が良しとされる世界観があります。
しかし、世界的には多種多様な仕事観があります。

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日本語というレンズを持っている人は、「長時間労働」や「サービス残業」という部分がよく見えてしまうので、仕事とはそのようなものであるという常識を生み、その枠の中で生きることになると言えませんか?


言語は世界観を規定します。
ゆえに生き方を規定します。


ということは、学びたい言語を選ぶとは、あなたのお気に入りの世界観を選ぶこと。あなたの好きな世界観で、生きていい。

母国語という、1つの世界観だけに、こだわる必要はないのです。

そして、

新しい言語を学べば、新しい世界へ移れるのです。

仮に英語を学んだら、英語の世界観が通用する国に行くことができ、そこで根を下ろすことができます。

もし、「日本社会で疲れて死にたい」という人が居たら、死ぬ気で新しい言語を学ぼう。

これって、生きている内に生まれ変われることになりませんか?

なぜなら、言語は第二の人生を歩ませてくれる切符になりうるからです。

これを書いているわたしは、実際に語学で生き方を変えてきた人です。

詳しくはプロフィールを見ていただければなと思います。

もし読者さんの周りに、日本での生活に希望が持てなかったり、疲弊しすぎて元気がない人がいたら、記事のシェアをしていただくと、希望や元気が湧いてくると思います。

死んだら生まれ変わるかなんて分かりません、
でも語学なら死ななくても生まれ変われます。
生きている内に。


まとめ
1言語1世界観だから1言語1人生

本当はここで結論が書けるような、話でもないのですが、今日のところは上の文章をもって結論としたいと思います。

今の世の中、すごく生きにくくないですか?
だからこそ、語学を通して自らを生きやすくすることが大切だと私は思うのです。

PS

なりたい自分、手に入れたい世界観は何だろう?

という問いをベースにして、学びたい言語を選んでみませんか?
資格とか、テストとか、そんなモノサシは忘れて、自分のためだけに、ただそのためだけに、語学を学んでみませんか?

手始めに、各国の世界観 (国民性)についてまとめた記事があるので、ぜひ合わせてお読みくだい。学んでみたいという言語が見つかったら幸いです!


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