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第3章 名誉と恥の文化の外見 (『名誉と恥の宣教学』)

前回の記事はこちら → 第2章 名誉と恥の文化の核心

はじめに

 今回の投稿では、名誉と恥の文化に生きる人たちがどのような「目に見える」ふるまいを見せるのか、すなわち名誉と恥の文化の「外見」を見ていきます。

 名誉と恥の文化の“土壌”を正しく理解していなければ、そこから生え出てくる“個々の植物”(人々の行動など)を誤解してしまうことにもなります。

 以下、本の中では6つ挙げられている特徴のうちの3つを紹介します。

(ちなみにこれから紹介する3つの特徴は、架空の設定ではなく、宣教師としての実体験、すなわち実際に遭遇した場面に基づいているようです)

(1)パトロン的支援 … 腐敗・依存ではない!

 裕福なAさんと、貧しいBさんがいたとします。

 このAさんが、困窮するBさんに経済的な支援をしました。

 Bさんはどう応答するでしょう。

 裕福でないBさんは、お金で報いることができません。

 そこでBさんは、Aさんが助けてくれたこと、すなわちAさんから受けた「恩」を多くの人に伝えるという行動をとります。

 つまり、Aさんがくれた「お金」を「名誉」で返済するということです。

 Bさんは、「Aさんは私にこんなことをしてくれました!」と言い広めることで、Aさんの評判を高めるのです。

 これを他の文化圏の人が見たら、「AさんはBさんをお金で買収しようとしている。腐敗だ!」と考えるかもしれません。

 また「BさんはAさんに依存するようになってしまうじゃないか!」と批判してしまうかもしれません。

 しかし、そのように見なすことは「名誉と恥」という“土壌”を見落とした誤解であり、その人たちの行動を正しく理解する妨げとなってしまいます。

(2)間接的なコミュニケーション … 嘘・欺きではない!

 名誉と恥の文化では、「ものをはっきり言わない」という場面に遭遇することがあります。

 そのゆえに、事実とは異なる情報が伝わることもあるでしょう。

 他の文化圏の人は、「事実と違うじゃないか。嘘をついたな!」と非難するかもしれません。

 しかし、名誉と恥の文化では、「正確な情報を伝える」よりも「関係を保つ」ためにコミュニケーションが行われる場合があるのです。

 例えば、教会で語られた説教(聖書の話)がいまいち分からなかったとしましょう。

 その際、はっきり「よく分かりませんでした」と言うより、「恵まれました」と言うほうが、説教者の体面は保たれる(名誉が守られる)でしょう。

 相手に恥をかかせて関係を悪くしないために、曖昧な言い方をすることもあるのです。

(3)社会的役割 … 抑圧や不平等ではない!

 名誉と恥の文化では、全ての人に各々の「役割」が与えられていると考えます。

 そこでは、「自分の役割に応じて行動することで名誉が保たれる」と考えられています。

 逆に言えば、自分に与えられた役割を全うできなければ、恥をかくことになります。

 著者がゲスト講師としてエチオピアに招かれたときの話です。

 現地には、著者の荷物を代わりに運ぶという役割を与えられた男性がいました。

 しかし「平等」を何より重んじる著者は、その申し出を断り、自分で荷物を下ろそうとします。

 よかれと思って、「自分は社会的地位や役割など気にしていない」と示そうとしたのです。

 しかし、著者は現地にいた別の人から助言を受けます。

 「“名誉あるゲスト”として来られた先生の荷物を運ぶことは、彼(荷物を運ぶ役割を任された人物)にとって、むしろ名誉なのです」

 つまり、社会的役割を全うすることで「名誉」を得られる場合があるということです。

 逆に、人から役割を取り上げたり、あるいはその人に相応しくない役割を押しつけてしまうと、その人に「恥」をかかせてしまうこともあるのです。

 (ちなみに著者らは、既存の文化や制度をそのままにしておくことがいいと言っているのではありません。聖書の福音に照らし合わせて、変革されていく必要がある部分もある、と考えています。)

文化の衝突

 ここまで、名誉と恥の文化にみられる3つの現象を見てきました。パトロン的支援、間接的なコミュニケーション(=曖昧な言い方)、社会的役割です。

 これらの現象を、別の文化の「レンズ」をとおして眺めてしまうと、文化の衝突が生じます。

 すなわち、パトロン的支援は「腐敗・依存」に、間接的なコミュニケーションは「嘘・欺き」に、そして社会的役割は「抑圧・不平等」に見えてしまうのです。

異文化に対する態度

 自分と異なる文化に触れたときに取る態度として、以下の5つのステップが考えられます。

① 未知の状態
 異文化のことを知らない状態です。異文化に直に触れると、次に述べるなんらかの「反応」をしていくことになります。
② 肯定的な反応
 自分の文化には存在しない異文化の良い面を知り、「なんて素敵な文化なんだ」と肯定的な反応を起こします。
③ 否定的な反応
 やがて異文化の“闇”の側面に気づき始めると、「この文化には問題がある」と否定的な反応を起こすようになります。
④ 批判的な態度
 否定的な反応が続くと、その文化を批判するようになり、「キリスト教信仰とこの異文化は相容れない」と結論づけてしまうことになります。
⑤ バランスの取れた態度
 しかし、悪い面と良い面との両方があることを認めた上で、バランスの取れた態度をもって、異文化に接していく必要があります。

まとめ

 前回と今回、2回に分けて「文化人類学的考察」の章を要約してきました。

 すこし聖書から離れてしまいましたが、重要な内容であったと思います。

 この本は「名誉と恥の宣教学」を提唱するものですが、「宣教」において、文化人類学は重要な知見を与えてくれるからです。

 さて、次回からはついに聖書の具体的なストーリーを見ていきます。

 名誉と恥が支配する文化のなかで、信仰者はどのように生きてきたのか。

 神(イエス)はどのように名誉と恥を取り扱ってこられたのか。

 ともに学んでいけたらと願います。

つづく → 第4章 旧約聖書 (『名誉と恥の宣教学』)

【出典】Jayson Georges and Mark D. Baker (2016) Ministering in Honor-Shame Cultures: Biblical Foundations and Practical Essentials. Illinois: InterVarsity Press. “3 The Face of Honor-Shame Cultures,” pp.49-64

※本投稿はMinistering in Honor-Shame Cultures: Biblical Foundations and Practical Essentialsの内容を要約したものです。投稿内での見出し項目(太字部分)は筆者によるもので、原文によるものではありません。また、内容を取捨選択した上で言葉を補いつつまとめているため、筆者の主観が強く反映されている可能性があることもお断りしておきます。

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