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日本語 カニ 🦀 の由来からヨーロッパの言語を眺める

🦀 のことをどうして「カニ」と呼ぶのかは十分解明されていない。本記事では、日本語のカニ (蟹) の由来とそれがどのように広まったかについて記載する。

縄文時代の言語を想定する

カニ (蟹)の由来を考えるには、おそらく縄文時代まで遡る必要があるだろう。縄文時代に日本列島でどのような言語が話されていたかはよく分からない。しかし、可能性としては、アイヌ語に違い言語が日本列島で広く使用されていた可能性は高い。

本記事では、縄文時代前期頃に日本列島で広くアイヌ語に近い言語が流通していたと想定の上、後述する。

カニの語源

結論から述べると、日本語のカニ(蟹)の由来は次のとおりと思われる。

縄文時代の単語 *kanit (カニッ) 
  > アイヌ語 カニッ kanit  (= 糸巻き棒, 糸巻き木)
  > 上代日本語 かに (蟹)

上記 *kanit は アイヌ語の kanit [ka-nit 糸・棒] が縄文時代にそのまま日本列島で広く使用された編むための道具であり呼称であったとことを想定している

*kanit は 「カニッ」と発音する。この糸を巻く道具が🦀を連想させるような形状をしている。

kanit とは

 アイヌ語辞書(国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ)によると、kanit (kánit) の説明は以下のとおり。

糸巻き棒(糸をよって(káeka カエカ)できた糸を巻くための木の棒。 糸巻き木。

(二またになった枝の両方の先がさらに二またになっているものの、 もとの方をとがらせていろりに立てておき、 先の二またの間を利用して糸を巻いていく)。

国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ kánit

kanit の実物のイメージは次のようなものである。

fig01 kanit (糸巻き木) 

ポイントは、木が二股に分かれ、さらにその1本1本が二股に分かれている形状である。(鹿の角のような形状、または、人が両手を伸ばしてダブルピースをしているような形状) 下の部分は尖っていて、炉などに突き刺して固定するようになっている。

kanit の実物は アイヌ文化を展示するいくつかの博物館で展示されているようである。ネットで写真を閲覧する場合は、以下を手がかりに検索すると閲覧可能である。

平取町二風谷アイヌ文化博物館 カニッ(糸巻き木) 博物館資料No.NAH-M-19910675

アイヌ語でカニはどう言うのか?

方言によって多くの呼び方がある。アイヌ語でカニ(蟹)を意味する代表的な単語は以下が挙げられる。

amuspe アムシペ
ampayayap アンパヤヤプ

am アム は 爪 を示すので、「爪のあるもの」のような名付けになっている。それ以外にも多くの呼び方がある。

上記は「カニ」を示す呼称の例であり、カニの種類毎の名称ではない。例えば沙流方言でタラバガニは次のようになる。
hotentemuampayayap ホテンテムアンパヤヤプ

現在の日本語の「タラバガニ」と比較するととても音数が多くて、動物の名前としては複雑な印象である。

日本列島の言語状況

縄文時代に日本列島で使用された言語は、おおまかにはアイヌ語に近いものであっただろう。

言語は生活に密接な言葉ほど、音が省略され簡略化される傾向がある。アイヌ語の kanit [ka-nit 糸・棒] のような語にも見られるように、「糸(植物繊維)」 は ka 、「(木の)棒」 は nit というとても短い音節で表現可能となっている。これは、アイヌ文化および縄文時代の縄文文化において、広く「糸(植物繊維)」 や「(木の)棒」が生活に密着していたことを示している。

それに対して、動物名や植物名など各々の種類を区別しようとすると従来の名付け方ではとても長くなってしまう傾向があるようだ。古い言語のほうが簡素な発音が多いとは一概には言えないのである。

時が経過して、弥生時代~古墳時代になると少しずつ人口が増加し日本列島各地の交流や商取引も増加したと考えられる。交流の贈答品や商取引の対象となる動植物名が方言だらけだったら何が何を指しているのかよく分からず、とても不便であった(= コミュニケーションにおけるストレスが生じた)と思われる。

総称が生まれた

前述のような状況を改善するために、言葉の抽象化が行われた。いわゆる総称が生まれたと思われる。名付けの名手が🦀 のことを「カニッ」と呼ぶことにしたのである。

なぜそうしたかたというと、🦀の呼び方は方言差が大きいので、簡単に誰もが分かる呼び方が欲しかったはずである。それで、誰もが知っている (糸巻き棒) kanit と呼ぶことにすれば、多くの人が連想しやすく覚えやすかったのだろう。このような経緯で、単語の簡素化(総称化)が達成されたのではないだろうか。

日本語の「カニ」という呼び方は、動物の特徴から名付けられたのではなく、糸巻き棒の形状に例えた、例え名称であると考えられる。

kanit の 展開

本記事で特に記載したかったのは、kanit は 日本列島周辺だけではなく、広くユーラシア大陸に伝わった可能性である。ここで、タイトルに含まれるヨーロッパが登場する。

これまでの述べてきたように アイヌ語 の kanit (= 糸巻き棒) は 縄文時代に広く日本列島で生活に密着した道具として存在していたと想定している。

ここで、ヨーロッパの言語の代表として英単語と比較してみる。すると、英語の knit ニット(= 編む)、knot ノット(= 結び目) と kanit (カニッ) は似てないか?と思える。発音しない先頭のkが表記上残っていることも注目に値する。

wiktionary(英語版)を参照すると英語の knitknot の由来は以下のように記されているが、ちょっと疑わしい気がする。

from Old English cnyttan, from Proto-Germanic *knutjaną (“to make knots, knit”). 

en.wiktionary knit

そんなややこしい単語を再構築するのではなく、縄文時代の日本列島の単語 kanit が 古英語 cnyttan に波及または変化したと考えたほうが自然なのではないか。

もしそうであるなら、地理的にとても遠い日本列島とヨーロッパに言語の繋がりがあるのか?というの大きな疑問が生じる。 

極東と中央アジアとヨーロッパ

筆者(LangDicLab)の考えでは、極東(日本列島周辺)とヨーロッパに言語的な繋がりは存在すると考えている。

フィンランド語などウラル語系の故地は東ユーラシアとされているため、少なくともウラル系と極東エリア・シベリアは言語的な繋がりが存在する。現在ヨーロッパのマジョリティである英語やフランス語、ドイツ語など印欧語はどうだろうか? 印欧語の故地は正確には不明だがウクライナ~ロシア南部あたりの可能性が高い。

過去記事でも何回が言及している遼河文明が東ユーラシアの巨大ターミナルの役割を果たしていたとすれば、極東エリア~中央アジアやロシア南部まで古代の道(アイアンロードの系譜のより古い道)によって文化と言葉が伝播することが可能である。

そして、縄文人や縄文人と近い言語や文化を持った人々が遼河文明に関わっていたとすれば、縄文時代の日本列島の単語が印欧語に伝わっていたとしても不思議ではない。

縄文時代の編む技術の高さは多くの遺物などで確認できる。縄文時代の日本列島は世界の他の地域と比べて、比較的に早い時期に定住生活を始めて、生活に密接な「植物繊維を編む」技術を発達させたと思われるのだ。

そして、縄文時代の単語 kanit (= 糸巻き棒) が そのままの形でアイヌ語に存在し(その技術がアイヌに受け継がれ)、日本語のカニ(蟹)という語になった可能性はとても高いと思える。
(以上)

脚注(Footnote)

改訂(Revisions)

2023 0118 初版


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