米田の補題と量子力学の時間発展

量子力学の時間発展を記述する流儀に観測量(演算子)が時間発展するハイゼンベルグ描像と状態(ベクトル)が時間発展するシュレーディンガー描像があります。これらの2つの流儀はディラックの変換理論で等価と言われます。本稿では、このディラックの変換理論は圏論で言う「米田の補題」の例になっていることを議論したいと思います。

ここでは、米田の補題の系として通称「米田埋め込み」として知られる場合を出発点にします。圏論に詳しくない方はこの段落で何を言っているのかさっぱりわからないと思いますが、すぐ後で量子力学における解釈を述べるので、お付き合いください(というかわたしも圏論は全然詳しくないので数学的な不正確さについてはご容赦ください。)。米田の補題を使う設定として、ある圏 $${\mathcal{C}}$$ があって、その対象 $${A}$$ と $${B}$$ にそれぞれ、Hom関手 $${h_A}$$ と $${h_B}$$ があるとします。この時、米田の補題は、$${\mathrm{Hom}(A,B)}$$ と $${h_B}$$ から $${h_A}$$ への自然変換が一対一対応すると主張します。

米田の補題の心は、対象を考える代わりに、その対象と他の対象との関係性 -- これをHom関手と大層な名前を使っているのですが -- を考えることは本質的に同じだと言うところにあります。量子力学の言葉で翻訳すると、状態ベクトルに着目して、それが刻々と変化していくこと(つまりシュレディンガー描像)を考えることは、状態ベクトル間の関係性に着目して、それが刻々と変化していくこと(つまりハイゼンベルグ描像)を考えることは本質的に等しいと言っているわけです。

今、圏として量子力学の状態空間(あるいは、ヒルベルト空間と言ってもよい)を取ります。シュレーディンガー描像では、その対象 $${|\Psi \rangle}$$ から $${|\Phi \rangle}$$ への(様々な)時間発展は、(様々な)ハミルトニアン $${\hat{H}}$$ によって $${\mathrm{Hom}(|\Psi \rangle, |\Phi \rangle) \sim e^{-i\hat{H}t}}$$ と与えられます。$${\mathrm{Hom}(A,B)}$$ とは $${A}$$ から $${B}$$ への「矢印」の集まりのことで、今「矢印」をありえる時間発展の一つと思っているわけです。これが米田の補題の片側です。つまり、$${\mathrm{Hom}(A,B)}$$ として量子力学の状態ベクトルのありえる時間発展をすべて考えているということです。

次にもう片側である、Hom関手 $${h_A}$$ と $${h_B}$$ との間の自然変換というものを考えます。Hom関手 $${h_A}$$ とは荒っぽく言えば、$${A}$$ を固定した時に、他のすべての対象 $${X}$$ との関係性(矢印)の総体ということです。今の量子力学の設定では、$${A}$$ として量子力学的な状態 $${|\Psi \rangle}$$ を取っていますので、状態 $${|\Psi \rangle}$$ を固定した時に、他のすべての状態との関係性の総体 $${h_A}$$ というのは、(ブラを固定した)観測可能量の行列要素を与えるということ、つまり $${|\Psi \rangle}$$  に作用する演算子を定義すること、に他なりません。よって、 Hom関手の自然変換を考えるというのは.、$${|\Psi\rangle}$$ を $${|\Phi \rangle}$$ に変えるという時間発展に伴って行列要素をどう「自然に」変換したら良いのか?というのを考えるということになります。

ここで、米田の補題は $${\mathrm{Hom}(A,B)}$$ つまり、状態の変換 $${|\Phi \rangle = e^{-i\hat{H} t} |\Psi\rangle}$$ が Hom関手の自然変換、つまり、具体的には$${ \hat{A}(t) =  e^{i\hat{H} t} \hat{A} e^{-i\hat{H} t} }$$ というハイゼンベルグ演算子の変換と、ハミルトニアン $${\hat{H}}$$を選ぶことで一対一対応していることを言っています。ここで、圏論で言う「自然性」と言うのは量子力学の言葉では、ユニタリ変換であるということに他なりません。ユニタリ変換が自然なのはそれが量子力学の構造を保つからです。

こうして、ハイゼンベルグ描像とシュレーディンガー描像が等価であるというディラックの変換理論は、米田の補題の例であるということがわかりました。「対象」の時間発展を議論するシュレーディンガー描像は「関係性」の時間発展を議論するハイゼンベルグ描像と等しいわけです。シュレーディンガー描像の代わりにハイゼンベルグ描像を用いて物理を議論することは「米田埋めこみ」であると言うことができます。(もちろん、量子力学ではディラックによって変換が明示的に構築されていますので、米田の補題がなにか物理的にとてつもなくすごいことを言っているわけではないということには注意しましょう。ただ、米田の補題の心がディラックの変換理論に通じている点は面白いと思いました。)

いくつかコメントがあります。

・量子力学の時間発展は逆変換が可能なので(共変な)米田の補題と矢印を反転させた(反変な)米田の補題に区別をつけずに議論しています。

・本当は量子力学の状態空間はヒルベルト空間の元ではなく斜線なので厳密にはもう少し込み入った議論が必要です。Wigner によれば結局はユニタリ変換でOKということが知られています。Weinberg の場の量子論の教科書を参照してください。

・もう一つ相互作用描像というものがあって、これが無限自由度系の場の理論において本当にハイゼンベルグ描像と等価なのかは疑義があります。これは、もしかしたら米田の補題の仮定「局所的に小さな圏」という点と関係しているのかもしれません。

・本稿の内容のオリジナリティを主張するつもりはないのですが、文献などで議論されているのを見たことがありません。どこかに書いてあるのを知っていたら教えてください。(まあ、時間並進をアーベル群と思い、そのユニタリ表現を考えているとすれば当たり前なのかもしれませんが。)

参考文献:圏論の道案内~矢印でえがく数学の世界~ 西郷 甲矢人, 能美 十三




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