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現実もメタバース!ならばアバターで存在しよう!‐ 肉体と存在を明確に分離、同一存在で世界を横断

 今後、さまざまなバーチャル世界(プラットホーム)が増えていく。やがて現実は無数にある世界(プラットホーム)の一つに収まっていく。肉体と存在は明確に分離される。存在は自分でデザインする概念になり、肉体は生命維持以外の機能を持たなくなる。そして存在は複数のメタバースを横断してアイデンティティとなる。

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▲肉体とアバターを概念として分離すれば、全ての齟齬は解決する

 欧米文化圏がメタバースに注目している。彼らの価値観では、メタバースは現実と地続きの世界。現実の肉体と存在が統合された状態で生きることを想定しているようだ。一方、日本文化圏では、メタバースは現実とは隔絶した世界だと思われており、現実の肉体から解放されたアバターの存在として生きることを想定されているようだ。

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▲ヒトの肉体。生まれながらに押し付けられたものを一生背負わされる

 現実の肉体と存在を統合した欧米型のメタバース観の利点は、現実と地続きであることで、人類が生きる世界として実用的であること、欠点は肉体をそのまま存在としているため、自己表現に対する決定権が抑圧されることだと思う。一方、肉体と存在を切り離した日本型のメタバース観の利点は、現実から隔絶されていることで、極めて自由であること、欠点は同じ理由で現実が蔑ろにされがちなことだと思う。

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▲肉体側からの存在の自由へのアプローチ

 現実もメタバースの一部でしかない。当然のように、アバターのように自分でデザインした存在で生きてしまえばいい。むしろ日本文化圏では「親からもらった大切な体が~」というようにジェンダーや肉体改造の自由に対する意識が低く、肉体を押し付けられがちだからバーチャルに理想郷を求め、欧米ではジェンダーや肉体そのものに対する自由度が高いから、バーチャルに互換性を求めるのではないだろうか。

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▲肉体と存在を明確に分離

 ならば肉体そのもののデザインのようなリアル側からのアプローチと、アバターデザインのようなバーチャル側からのアプローチを同一の「存在の自己決定目的」の行為と位置付ければ、肉体と存在は明確に分離され、肉体そのものには生命維持以上の価値はなくなり、人間の自己決定権は維持される。そして、「メタバース」に相応しく、同一の存在で複数の世界を横断して存在できるようになるだろう。

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▲肉体と存在の分離と肉体強化・廃止のロードマップ

 生命維持のための入れ物としての肉体と、自己決定権を行使するための存在の分離は、将来的に人類が人工的な手段で、より進化する際に必要な価値観となるかもしれない。人類は既に行為や衛生といった極めて人工的な行為で格段に寿命を延ばしている。ワクチンだってウイルスの遺伝情報をタンパク質で再現してヒトの細胞にぶつけて、肉体の作用で免疫を獲得させる、かなりの人工的な強化方法だ。この延長線上に機械と人類の統合による強化はあり、最終的に肉体廃止による永遠の生命と完全の自由の獲得は位置している。

 我々が意識を有する個人である以上、究極的に必要になるのは個人の自由と生存の保障だ。技術的に可能となった場合に、人類が旧来の肉体を絶対視する価値観に囚われて最大限の自由と生命維持を実現できないでいる状態は、特定の価値観の押し付けにより個人の自由と生存が抑圧されている状態と同じだ。人類が自然から離れて概念により稼働する社会を築いてしまった以上、自然たる肉体と、概念たる存在の分離は必然になる。

 「存在を認めない社会が厳しい」だって?無理矢理存在し続ければいいんだ。他者は存在する以上認めざるを得ないから、最後まで無理を通した方が勝ちだ。そうやって人間は頭を使って血潮を流して自由を獲得してきたじゃないか。

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