羊角の蛇神像 私の中学生日記⑩
17歳の地図
2年生になり、再び学校に行けなくなった私は、2度目となる児童相談所の一時保護を利用した。
春に保護された時は南こうせつが流れていた集会室では、尾崎豊が繰り返し流れていた。
その頃、高校生の男子が保護されていたが、尾崎が大好きな彼が持参のCDをかけているらしかった。
彼は陽気な性格で、曲に合わせて気持ち良さそうに歌っていた。顔中の筋肉を伸縮させて歌う芝居がかった様子が愉快だった。
ちいさい子たちの世話を焼き、冗談を言っては笑わせていた。
何かしらの事情があって彼もここにいるのだろう。陽気に振る舞って悲しみを払う。今ならそういう人の気持ちもわかる。彼もおそらくそうだった。
私と彼は、数ヶ月後、別の場所で再会する。
そして、あまりにも濃い、特別な関わりを持つことになる。
そんな未来など予想することもなく、私たちは一定の距離を保っていた。
サマーキャンプ
児童相談所を利用する一部の子どもたちが参加するサマーキャンプがあった。私は自分の希望でそれに参加した。
2度の一時保護所の暮らしに慣れ、外部の子どもたちともある程度交流を図れるようになっていた私の中には、普通に学校に通っていれば経験できなかったことや、出会えなかった人々との関わりを楽しむ余裕が生まれていた。
保護所では毎日陽当たりの悪い正方形の庭で野球をした。近くの学校に借りたプールへみんたで泳ぎにいくなど、適度な運動をした。
体を動かし3食をいただく。毎日規則正しい生活を送ることは、夜の国にいた私には想像もできなかった健康的で文化的な暮らしだった。
太陽の恵みや、人のぬくもりに感謝していたと思う。
一時保護所からは他の男子2人もキャンプに参加した。彼らも登校拒否の子たちだった。
気の弱そうな彼らと並んでバスに乗った。キャンプ場に向かう車中で私たちは何を話しただろう。
街から離れ、緑が濃くなっていく窓の外の景色に柄にも無く私たちは高揚していたと思う。
キャンプ場につくと、半袖半ズボンの若者たちが出迎えてくれた。ボランティアの大学生で、彼らは一見して人生の勝者、光の使者であり、現代風に言うならば紛れもなく「陽キャ」だった。
小麦色の大天使
光輝く彼らは、私たち闇の眷属にとってあまりにも眩しい存在だったが、彼らは終始柔和でさわやかだった。
そんな天上人たちの中で、一際光輝く存在があった。
彼らのリーダーなのか、レクリエーションなどでいつも司会進行をしていた華奢なお姉さんがいて、誰もがその清らかさに息を飲んだと思う。
小柄な体の、その小麦色の肌の内側に、常世の国に流れる琥珀色の水をゆるやかにたたえ、ミーミルの泉のような大きな瞳は、神秘を隠して静かに燃えていた。
夜の国から来た悲しきゾンビの私は、その美しい姿を盗み見る代償に、この目が潰れるほどの戸惑いを覚えたのだった。
夜、講堂のような広い部屋で、お姉さんたちがギターを弾きながらキャンプ的ないろいろな歌を聴かせてくれた。
お姉さんの清らかさもあって、夢のように心地良かった。
その中でも、「Puff the magic dragon」という曲がとても良かった。ぽっと心に火が灯るようなぬくもりを感じた。
夜、テントの中で生意気な小学生の子を詰めて泣かした記憶がある。私の中の宮崎が時々牙を剥く。
学校にもまともに行けない弱虫が、こんな、何かしら心に闇や傷を持っているような幼な子を何をそんなに苛立ったのだろう。
変態的な意味ではなく、お姉さんの爪の垢を煎じて、密封した液体を、こう、何年も大切に持って、こっそりとひとりで愛でる、みたいなことをするべきだったのだ。そう、そういう諺があったはずだ。
それで、キャンプ場のやたら草が伸び放題の広場のような所で、ぎゃあぎゃあと騒いで走り回る子どもたちと、さまざまな色が洪水のようにあふれていた。
その色や音にもみくちゃにされながら、私も夢中で走り回ったようなイメージがかすかに思い出される。
林間学校にて
児童相談所から参加したキャンプのことを書いていて、中学の林間学校のことを思い出したのでそれも書いておく。
その頃、既に殆ど学校に行っていなかったのに林間学校に行ったのはどうしてなのだろう。その経緯を全く覚えてない。
行くなよ。学校に行けよ。
その林間学校で衝撃的な事件がふたつあった。
それらは体育館のような所で、夜に起こった。
ひとつはレクリエーションでクラス対抗の色々なゲームをした。紐を半径2メートルばかりの円にして、その中にどれだけ人が入れるかを競い合うもので、男女混合でそれは行われた。
紐の中で男子は女子を肩車する。二階建て構造で密度を稼ぐ戦略を全クラスが採用しており、男と女が夜空を駆けるセントールのような愛の形で一心同体になるのであった。
なぜ、そんなエロいことをするのだ。
狼狽する私を尻目に、学年全体が異様な熱気に包まれていた。
思春期の彼らを洗脳したのは誰だ。
男子はまだしも、女子も興奮していた。
あの連帯感はなんだ。
そうか、これがあの「私は明るいです」のパワーか!
PTA!助けて!
ろくに学校にも来てない私が、そんな風に女子と密着するのは恐縮だったが、半狂乱のクラスメートに圧される形で私も女子を肩車した。
私は誰の足に触れたのだろう。
全くけしからん。順番を間違えている。
学校にちゃんと通え。
青春やラッキースケベはお前には100年早い。
森の中で
もうひとつの事件は、プロジェクターで観た「となりのトトロ」だった。
私は、緻密に描かれた背景や緩急のある脚本など、作品の面白さに圧倒されたのだった。
私が知らないアニメーションがそこにあった。
林間学校から帰ると、私はビデオ屋に行き、トトロを借りた。
そして、朝になるまで5回くらい連続で観た。
寝ろ!規則正しく生活して学校へ行け!
思い出した。
アニメすげー!となった私は、登校拒否をしていたくせに、時々アニメイトに行っては、作品を観たことがない、何かかっこいい感じのアニメのポスター(タイトルなどはおぼえていない)を買って部屋に貼ったり、紹介される作品の10%も知らないのにアニメージュやOUTなどのアニメ雑誌を買って読んだりした。
OAVを買うようなお金は持ってなかったので、そんなに観てなかった。
アニメそのものよりも、アニメを好きな人たちの熱が好きだったのかも知れない。
あと、ポスターもそうだが、全然聴いたことのないバンドTシャツを着たりするのは変わっていない。
好きなバンドが着たいシャツを作ってくれればそれにこしたことがないが、このバンドが好きだとアピールするよりは服としてのデザインを優先する。
私の感性は少しめんどくさくてマイペースなのだ。
それで、ドラゴンマガジンとかも読んだりしていたが、この頃の最大の収穫は、OUTで特集の組まれていた那須雪絵という少女漫画家だった。
中学生から高校生にかけて、「ここはグリーンウッド」を愛読していた。
この頃、ほんの少しだけ、アニメが好きなフリをしていた。
でも、本当のオタクではなかった。そういう属性の雰囲気を味わいたかっただけだったのかも知れない。
私は飽きっぽいのだ。
トトロは衝撃的だったが、私が好きなものはもっと別の場所にあると感じていた。
今回も予定が変わっていろいろなことを書いてしまった。
次回(たぶん)学園編スタート。
羊角の蛇神像⑪へ続く
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