あふれ出す神への賛美
エペソ人への手紙1章3節から
エペソ書には人間が聖書の神を信じるということはどういうことなのかが教えられている。
信仰は私という個人にとどまるものではなく、神の壮大な計画に及ぶものでもある。
父なる神への頌栄
エペソ1章1〜14では父、子、聖霊なる神を3部に分けて賛美し、各部で「神の栄光がほめたたえられるためです」(6, 12, 14)と締めくくられている。
今日の箇所は、その第一部父なる神への賛美である。
「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。」
「ほめたたえられますように」(ギリシャ語「ユーロギア」)
とは、
「賛美されるように」、「祝福されるように」
とも言いかえることができます。
新約聖書ではこの「賛美されるべき」ということばは、神とキリストにのみを対象として用いられることばでもあります。
偉大な神に向かって、被造物である人間が父と呼び、賛美するとはどういうことなのでしょうか?
それは、神の御子であるイエス・キリストの十字架の贖いのゆえになされる。
キリストのゆえに、罪人である人間が神に向かって賛美することが許されているということです。
クリスチャンは日常的に「神さまを賛美します」と口にしますが、神を賛美するというのはどういうことなのでしょうか?
神を賛美するというのは神のご人格、神の性質、御業を語ることでもあり、決り文句として口にされることではないはず。
私たちが神を賛美するというとき、イエスの十字架を深く覚えて神のご人格と御業を覚えて、感謝すべき偉大な神を賛美します。
私たちに与えられた祝福
続けて私たちに与えられた神の祝福が述べられています。
「神は・・・私たちを祝福してくださいました。」
この「祝福した」ということばは、はじめの「神がほめたたえられますように」ということばは元は同じことばが当たられています。
それは本来神とキリストにのみ向けられるべきことばであるにも関わらず、神は人間を祝福してくださるというのです。
神は本来、呪われるべき者を祝福してくださった。
なぜ?
・イエス・キリストによって
それはイエス・キリストによって与えられるもの。
キリストの十字架のゆえに神は呪われるべき者を贖い、かえって祝福までしてくださるのです。
それは、キリストを通して与えられる一方的な恵みです。
・それは霊的な祝福である
この祝福は霊的な祝福であり、この霊的な祝福は天上の、あるいは天的な祝福とも呼ばれるもの。
聖徒と呼ばれるクリスチャンは、キリストと一つとされるという真理のゆえに、キリストが天において与えられている栄光をともに受けることができる。
この地上にあっては、天的な祝福を十分に享受することができず葛藤することがある。あるいは、神の祝福がよくわからないということがある。
どうしてなのだろうか?
それは、子どもが親が与える祝福に気づかないことに似ている。
親は子どもにはまだ理解できない素晴らしい祝福を与えようとしているが、子どもはそれよりも目先のお菓子やおもちゃをほしがる。
この天的、霊的な祝福は私たちが御霊に満たされ、御霊に従い、霊の目が開かれていなければ気づかない。
クリスチャンとしての成長の中で、この祝福に気づき、本当の意味で体験し、味わうことができる。
この霊的祝福は、天にまことの家を持っている人々に与えられるものです。
今、私たちはキリストのゆえに父なる神の子とされ、天の相続財産を約束されているのです。
その祝福は具体的にどのようなものなのか?
次回に続く。
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