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【Essay】記憶〜後付けのナラティヴ〜

 記憶というものは、不思議なもので、過去の出来事をすっかり書き換えてしまうことがある。書き換える、とまでは言わなくても、少なくとも過去の出来事に解釈を加えてしまうとは言えるだろう。つまるところ、記憶とは、ストーリーではなくナラティヴに属しているのだろう。

 最近、妙に考えてしまうことがある。タイで過ごしたこの1年間は、どのように記憶されるのだろうかと。期待外れだった留学。タイ=クオリティに振り回された日々。深い話をできる友人もできず、アパートの一室で読書と研究に励むこの生活の中にも、未来から見れば、なんらかの意味が見出せるのかもしれない。それは価値とも呼べるのかもしれない。だいたい、物事の価値はその時その場ではわからない。後になってもう一度振り返ったとき、初めてわかるものなのだろう。あるいはその時になって、初めて与えられるものなのかもしれない。

 というわけもあり、自分はこちら一切日記をつけていない。帰国してから日記をつけてみようと思う。帰国してからでは日記と呼べるのだろうか。でも、回顧録とまで言うと、どこか大袈裟だ。日記でいい、日記で。でも、そんな “日記” にはどこまで本質が宿っているのだろうか。今日のことを今日書いても明日書いても、「書く」という営みを通して生み出されたものに、どれだけの真実性を認められるだろうか。そもそも、本当のことなんて、どこにあるのだろう。語るという営みを通してでしか、真実は表現されない。ただ、語られた真実は、その時点でもう真実にはなり得ない。

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 帰国してからつける日記について、一つだけ気になることがある。日記をつける際、僕は何語で書いているのだろう。日本語だろうか。それともタイ語だろうか。自分は幼いことから日本語を聞き、日本語で考え、日本語で何かを語ってきた。だから、日本語で書くのが自然だろう。

 ただ、僕はタイではタイ語を使って生活している。タイ語でものを感じ、タイ語で考え、タイ語で誰かと話している、なんてことを毎日繰り返している。タイ語で起きた出来事は、何語で記憶されるのだろう。僕はそれが今から気になっている。

 アントニオ・タブッキは『レクイエム』という小説をポルトガル語で書いた。彼の母語はイタリア語で、彼自身はバイリンガルではない。では彼はなぜポルトガル語で小説を書いたのだろう。『レクイエム』の中には、語り手が夢の中で今は亡き父親と話す章がある。タブッキは別の本で、この章をポルトガル語で書いたのが、この小説の出発点だったと語っている。彼自身が、夢の中で父親とポルトガル語で会話し、それをポルトガル語で書き出してみた。イタリア語で書くと、どこかしっくりこない。その言語部しか語れない記憶があり、世界がある。

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 こんなふうに、唐突にタブッキの話を持ち出すほど、僕はタブッキが好きなのだ。といっても、彼の著作を読破したわけでもないし、原書で読んだことがあるわけではない。ただ、本棚にはいつのまにかタブッキの本が並び、彼がとことん愛したポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの詩集を日々嗜んでいる。まさに「出会ってしまった」としか言いようがないこの出会いが、僕の知的な世界をどれだけ豊かにし、そしてどれだけ自分を苦しめたか。とはいえ、タブッキにもペソアにも罪はない。

 自分はタイのことが知りたくて、タイ語を勉強し始めた。タイの友人と、彼らの言葉で話したくて、タイ語を始めた。いずれは、もっと深い話ができる友人をタイで見つけたかった。何より、タイ語を学ぶということが、誰も知らない自分だけの世界を切り開いているような感じがした。自分だけが知っている世界に、僕は陶酔していた。そんなものはどこにも存在しないのだけれども。

 でも、結局のところ、タイは自分にとってそんなに魅力的なところではなかったのかもしれない、と思うようになった。タイの知識人はよく口にする–คนไทยไม่มีวินัย–タイ人には規律がない。もちろん、タイにいる人々全員に規律がないと言いたいわけではない。ただ、大学生になっても子どもな同級生を見て、自分はどこか物足りなさを感じていた。タイ社会にだって知の蓄積がある。だた、タブッキが見せてくれたそれに超えるものに出会えたかというと、答えは否だったと思う。罵声とクラクションがとまらない道路の中央分離帯にポツンと立ち、僕は自分に問いかけることがある。なんでこんな国、選んだんだろう。どこで道を間違えたんだろう。正しかったか間違えたかなんて、その時その場で言えるものではない。ただ、常夏の熱気と排気ガスとPM 2.5に塗れながら、僕はトボトボと自分の部屋へ帰っていく。

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 確かに自分は道を間違えたのかもしれない。でも、仮に間違えたとしても、タイ語を専攻したことを悔いたことは一度もない。タイ語を学んできたこの4年間を無駄だったと思ったこともない。自分はタイ語が好きだ。好きだ、というほど単純なものではないかもしれない。タイ語はもはや自分の一部になっている。(タイ語母語話者には及ばないにしても)タイ語のない自分はもう想像できない。「タイ」以上に、「タイ語」を自分のものとして吸収してしまったのだ。だからこそ、これからだって、タイ語で本を読むだろうし、タイ語で人と話すだろうし、タイ語で感じ、タイ語で考え、タイ語で何かを語るのだろう。そして、必然的に、タイ語でタイを追い続けるのだろう。そして、タイ語で出来事が起き、タイ語で振り返り、タイ語で記憶に残る。それをいざ語るとき、もうそれは何語で語られるのか。

 でも、タイ語で書いた文章は、あるいはタイ語で語られる自分は、本当の自分なのだろうか。どんなにタイ語の世界に浸っていたとしても、所詮自分は日本語話者で、この通り日本語でものを考え、日本語でものを語っている。タイ語で語られる自分は、いわばタイ語という着ぐるみを身につけたマスコットに過ぎないのかもしれない。では、日本語で語られる自分が本物なのかというと、それも違う。何が本当で、何が本当でないのか、よくわからない。わからなくたっていい。記憶は結局のところ、後付けのナラティヴに過ぎないのだから。

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