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第13回 「BEAT CRUSADERS - TONIGHT,TONIGHT,TONIGHT」の思ひ出

「突然託された死神の力……その日から俺の世界が変わった。死神代行・黒崎一護。大切な仲間を守るため、強き思いを爆発させて⸺今、魂の刃を振り下ろす!」

 2005年10月4日の夜、新アニメ『BLEACH』が始まった。新アニメとはいっても、もともと夕方に放映していたアニメがゴールデンタイムに昇格したものらしく、すでに52話目ということだった。なので、話の内容はまったく意味不明であったが、なんだかオサレでカッコよかったので、意味不明ながらも視聴を続けることにした。

「やあ、日番谷くん」
「藍染!どうや……本当に藍染なのか?」
「もちろん、見てのとおり本物だよ」
「雛森はどこだ!」
「さて、どこかな?」
「雛……森……」
「残念、見つかってしまったか。すまないねえ、君を驚かせるつもりじゃなかったんだ。せめて君に見つからないように⸺粉々に切り刻んでおくべきだったかな?」
「雛森は……雛森はてめえに憧れ⸺やっとの思いで副隊長になったんだ」
「いい機会だ、一つ覚えておくといい、日番谷くん。憧れは理解から最も遠い感情だよ」
「藍染……俺はてめえを殺す」
「あまり強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ」
「ウソ……だろ?」
「いい眺めだな。季節じゃないが、この時期に見る氷も悪くない」

 相変わらず物語は意味不明であったが、とりあえずこの藍染惣右介という男がすべての黒幕ということだけは分かった。もともとは温厚で高徳な人物と思われていたらしいが、そんなことは知る由もないし、実は死は偽装であったと言われても、そもそも死んでいたことすら知らなかった。おれにとっては単なる悪役の初登場である。

 なので、原作コミックを読み始めても、ストーリーにはなんの意外性もなかった。

「あっ……あ……藍染隊長……嫌です……嫌……藍染隊長!!!」
「そいつ生きとるけどな」

「本当に藍染隊長なんですか? 亡くなられたはずじゃ……」
「生きてるよ、このとおりさ」
「知ってた」

 今となっては「ネタバレ」は万死に値する重罪とされているが、当時のガキどもからすれば、動画配信サービスなんてものはなかったので、放映されているアニメを途中から見始める、連載されている漫画を途中から読み始めるなんてことは日常茶飯事であり、このような「ネタバレ」は珍しいものではなかった。そういうものだ。

 さて、時は流れて2006年4月4日、本格的に『BLEACH』にハマり込み、始解や卍解のセリフから破道・縛道の呪文まで、すべて暗唱できるようになったころ、アニメのオープニング・テーマが変更されることになった。新たな主題歌はBEAT CRUSADERSの「TONIGHT,TONIGHT,TONIGHT」である。

 1978年にYMOがデビューしたとき、当時の小学生や中学生たちは、シンセサイザーやコンピューターというハイテクな技術を駆使したサウンドを聴いて、そこに「未来」を感じたという。この「TONIGHT,TONIGHT,TONIGHT」という曲を初めて聴いたとき、おれは30年前の小中学生と同じように、彼らの鳴らすサウンドに「未来」を感じた。

 おれに未来を感じさせた要素として第一に挙げられるのは、やはりシンセサイザーのピコピコ音だろう。ピコピコした機械音が入っているだけで、それはもう未来なのである。トレブルの効いたパンク的なギターも未来的に響いたし、ヒダカトオルが独特のしゃがれ声で歌う英詞も未来的であった。こうして「TONIGHT,TONIGHT,TONIGHT」は、これまで聴いてきた中で最もお気に入りのアニメソングとなり、初めて覚えた英詞の曲にもなった。

 この時点では、おれはまだ音楽にあまり興味を持っていなかったが、音楽に対する基本的な嗜好はすでに形作られていたようである。おれが音楽を聴くうえで重視してきた一つの軸は、それが「未来」を感じさせるようなものであるかということであった。今まで聴いたことのない未知のサウンドに出会いたいというのが、おれが音楽を掘り続けてきた最大のモチベーションであった。芸術の持つ機能の一つは、従来の認識の枠組みでは消化できない未知の体験を与え、鑑賞者の中に新しい世界を拓くことにあるのだから、これは当然のことであった。「であった」とさっきから過去形なのは、現在のおれはもはや音楽に対する感動を失ってしまい、食って寝て排泄するだけのクソムシに成り下がってしまったからである……。

 ただひとつ寂しいのは、そのようにおれに多大な影響を与えたBEAT CRUSADERSも、今では忘れさられ始めているということだ。YMOを引き合いに出してBEAT CRUSADERSを語ったが、YMOは今後も新しいリスナーを獲得し続けるであろう音楽史に残るグループであるのに対し、BEAT CRUSADERSはすでに忘れ去られたバンドであり、語られることがあるとしても、それは現在30代から40代の者たちの懐メロとしてである。今、こうして書いているように。

 ヒダカトオル自身も認めているように、BEAT CRUSADERSというのはサンプリング的なバンドであり、80年代から90年代にかけて彼が吸収してきた音楽を、00年代の日本のシーンに適合するように上手く再構築したバンドであった。音楽史を刷新してしまうほどのオリジナリティーはないにせよ、その点では彼の作曲センスは抜群であり、改めて聴くとよくできた曲が多く、00年代にヒットしたのもうなずける。80年代にパンクやニューウェーヴが当時の若者たちに与えた衝撃を、時空を超えて00年代へと持ち越し、おれのような人間に同じ衝撃をもたらしてくれた、ということなのだろう。

 立ち読みしたかなにかで手元にソースはないが、かつてヒダカトオルは「BEAT CRUSEDERSが音楽への入り口になってくれたらそれでよく、過去の音楽へアクセスするための踏み台としての機能を果たしたなら、あとは聴き捨ててくれてもいい」というようなことを音楽雑誌で語っていた(違っていたらマジで申し訳ない)。おれはBEAT CRUSADERSに新しい世界を見せてもらい、中高生のときにはそれなりに聴き込んでいたが、今ではほとんど聴くことはなくなってしまい、実際ヒダカトオルの言う通りになった。だが、それでよいのだろう。今後、改めてBEAT CRUSADERSを聴く機会はあまりないかもしれないが、それでも10代のころにBEAT CRUSADERSを聴いていた経験は、血肉となって今も生き続けている。同じようにBEAT CRUSADERSに影響を受けた者が、糞文を投下するしか能のないおれとは違って、素晴らしい表現活動をしているような場合もあるだろう。

 トルストイも『戦争と平和』で語っているように、歴史を動かすのはナポレオンのような偉人や英雄たちではなく、歴史の記録に残らないような多種多様な人々である。『ゲーム・オブ・スローンズ』で最も重要な役割を果たしたのは、作中の歴史書に一切名前の出てこないティリオン・ラニスターであった。そう考えると、歴史に名を残せるかどうかといった俗事にこだわること自体、バカバカしいものであるのかもしれない。音楽の歴史とは、音楽に関わる者すべての総体であり、「正史」の中に埋もれてしまったバンドたちが存在しなければ、音楽の形は現在のようにはなっていなかっただろう。というか、ヒダカトオルを勝手に過去の人として語っているが、彼は現在でもTHE STARBEMSなどのバンドで活動中であるし、それに今はインターネットの時代なのだから、日本の昔のシティ・ポップが海外で再発見されているように、00年代の日本のパンクシーンを再発見し、自らの血肉としている者も存在するかもしれない。

 歴史なんてものを気にしたところで、どうせいつか人類は滅びる運命にある。人類どころか、50億年後には太陽系自体が滅びてしまう。世間体や周囲の評価なんか気にせず、ただその時々に好きなものを好きだと言って楽しめれば、それでよいのではないだろうか。

おわり


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