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まだいらっしゃったんですね…。

 こんにちは、女上アサヒです。8月に入ってまだ2度目の投稿って
かなり遅れてますね。もう半分過ぎてますし、少しだけ秋の気配も感じます。
 こちらでお盆の行事や体調を崩したり、いろんなことが重なり今月の二度目の投稿は今日となってしまいました。体調不良は精神的なものだったり、疲労感です。今は大丈夫なので、続きを書いていきたいと思います。


<<病歴と生活保護④>>
 役所で紹介された保護課の担当の方はまたぽっちゃりとした方で、よかった優しそうな方だな…? って思ってその方のお顔をよく見ると能面のように無表情でした。全然、ほうれい線がない。赤ちゃんでもあるほうれい線が全くないない方、という印象でした。「笑ったことあるのかな?」と思わせる程、無表情。それで、私の心は折れてしまいそうになりました。
 今の役所の方は、皆さん笑顔で対応されて、どちらかというとサービス業に近いような気がします。ですが、この方はまだ若いからかマニュアル通りで仕事をしているような雰囲気でした。うつになって以来、人の雰囲気を敏感に感じるようになって、特に避けたい方はすぐにわかってしまいます。
 準備してきた資料をすべて渡して、私の家に訪問して調査する約束までとりました。そのときは県の『生活困りごと相談室』(仮)の担当者の方は同行せず、私一人で、一対一での面会のようになりました。
 とうとうその日がやってきました。面会の日です。最初にその方が発したのは「ひとりなんですね」とおっしゃるので『一人暮らしなので』「いえ、県の方はいないんですね」内心、主語を言わんかい! って突っ込みたくなりました。一対一との話は通じてなかったのか? とも思いました。
 面接が始まり、何を話したのか、緊張からよく覚えていませんが、通帳で気になることがあるから、ということで、記帳の履歴を指さし、これはなんですか?と、すべて説明させられました。一番、困ったのは個人の名前が数名、印字されていたことです。『同人誌をその方から買いました』と正直に話したら、見せて下さい、と言われてもさらに困るので。「その方たちから『本』を買いました」とだけ答えました。すると、納得してもらいました。
 あと、私の質問で、『レンタカーでも、運転してないんですか?』と聞くと、どうして運転したいのかと、逆に質問されました。想定外のことだったので、だいぶ前に兄に運転を頼まれたことがあるから、こういうことがまたあるかもしれない。と、しどろもどろになりながら答えました。自分でも何を話してるのかわからない感じでしたが、『そうですか』の一言で終わりました。
 早く帰って欲しい…その事で頭がいっぱいでした。最後にその方が家の中を歩いて、家電は何が揃っているかと調べて、生活に必要なものはありますね、と言われ、今度は兄と姉の面会があり、本当に私に生活援助が出来ないのかということを聞きに行くことになりました。
 その方が帰った後、私は寝込んでしまいました。やっと終わったというのもあれば「圧迫面接」というのはこういうものか、と体感したからです。
威圧感がすごかったのですが、この方の立場になれば、色んな方がいるので、そういう態度になるかもしれませんが、怖かったです…。
 次、役所に行く時はもう県の『生活困りごと相談室』(仮)の方と一緒じゃなければ、精神的にもたないな、と思い、いつも同行をお願いしていました。私はひとりではその保護課の方には会えませんでした。もう会うのが怖いというのがインプットされてしまったのです。
 しかし、どうしても、県の方が同行できない用事があるとのことで、あるとき、ひとりで保護課の担当の方に会いに行くことになりました。お昼の12時、休み時間の前のギリギリに到着し、提出する書類があって捺印され返信されるものでした。「もう12時なので、1時にしか渡せませんが、いいですか?」と言われ、私がギリギリに来たので、役所の近くで昼食でも食べようと思い「1時にまた戻ってきます」というと「それじゃ、郵送で返信をお渡しします」と言われてしまいました。また内心、郵送できるんかい!って突っ込みたくなりました。
 こういうやり取りが何度かあり、私は県の『生活困りごと相談室』(仮)の方に、生活保護の書類が通らなかったらどうしたらいいんでしょうか、と何度も相談しました。「提出書類の中に診断書もあるので問題ないですよ。これまでの方も診断書があれば通ってましたから」との返事を頂いて心強かったです。
 同行したときは県の『生活困りごと相談室』(仮)の方は、『あの保護課の人によっぽど文句言ってやろうとしたけど、我慢した』言われたこともありました。私が退職した仕事でクレームばかり浴びてきたからか、怖かったのは確かでしたが、言い返せないのが癖になっていて、言おうと思えば、自分の意見も言える立場だったんだな、とも思わされました。
 書類をすべて出し終えた頃には年末になっていました。県の『生活困りごと相談室』(仮)の方からフードバンクを通して食べ物を頂いていたので、少しはお正月は問題なく過ごせました。それに、あの保護課の『THE公務員』という感じの方に会えないのがホッとしました。
 それと、その保護課の方を怖い感じに表現していますが、電話の声は可愛かったので、電話だけで話させてくれ!というのが正直な気持ちでした。
 ちなみに私は体重が平均体重よりかなりオーバーしていますが、もう何をしても体重は落ちてくれません。ですが、精神的に参ったときにはちゃんとごはんは食べてるのに、落ちていくのです。やっぱり、心身のバランスを保たないといけないと思わされました。
 年が明け、ようやく私の書類の審査が通り、問題なく生活保護を受けられることが決まりました。そこからまた色々な制約された生活がはじまりました。
 


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