『母親xマネジメント』私たちがマネジメントを研究するわけ~
2022年6月、私は所属するオンラインコミュニティ「母親アップデートコミュニティ(以下HUC)」で部活を立ち上げました。
その名も「マネジメント研究会」。
母親かつ企業のマネージャーにもなっているキレッキレのスーパーワーママの集まりかというとそうではありません。そもそも部活を立ち上げた私自身、かつて勤めていた企業では一介のペーペー社員だったし、今はフリーランスのコーチなのでそもそも部下なんていないし(^^;)という人間です。
マネジメントってビジネスの文脈で捉えられがちで、一見母親の対極にいるような言葉にも映りますが、私の尊敬する先輩の女性たちは口をそろえて「母親とマネージャーの仕事は驚くほど似ている」と言います。
このnoteでは私がこの部活を立ち上げた経緯とこの半年間で学んだことを、2022年の締めくくりとして書きたいと思います。
きっかけの「問い」
最初にHUCについて少し語らせてください。
HUCを一言で表現するならば「オンラインご近所システム」。
母親であるという役割だけを共通項に、年齢も住んでいる場所も価値観も様々な人が集っています。
「ご近所のつながりも薄れているなか、母親が「自分」でいられる居場所がありません。自分を受容できる安全安心の場をつくるため、「誰も否定しない」をたった1つのルールとし、母親アップデートコミュニティを立ち上げました。」と、公式HPでは謳われています。
この「誰も否定しない」というルールこそが、かつてあったご近所の支えあいと、オンラインのいいところどりを両立させている仕組だなというのが私の参加してみての感想です。
さて、HUC内には色々な部活動があります。母親とはいえ当たり前ですが一人の人間。それぞれいろんな趣味を持っています。
その偏愛をテーマに部活という名のもと夜や早朝語り合っているのですが、料理部もあれば、マインドフルネス部や英語部、はたまたロックを語る会やらオタク部まで!本当に幅広いジャンルで何をしてもいいという感じです。
部活とはいえ強制ではないので、所属するのも出欠も自由。自分の好きな時に自分の興味あるテーマをのぞいてみるというスタイルで私も活動しています。
母親同士が深夜まで推しのマンガの話をするとか、リアルイベントでフジロック参戦など楽しそうでしょ?(笑)私は今年、秋田に住むメンバーの所に大曲花火大会を見に行くツアーに家族で参加しました。
HUCは母親という役割を共有しつつ「私」という個人に戻れる場所で、2022年12月13日、あのNHKの人気番組『クローズアップ現代』にも登場しているので、ぜひご興味のある方はこちらものぞいてみてください。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4734/#p4734_07
そんな数ある部活の中で、私はよく読書部に参加しているのですが、そこで読んだ瀧本哲史さんの『2020年6月30日にまたここで会おう』に心を動かされました。
この少し前、私のコーチングの先生であり、かつて外資系企業で役員まで勤められた方にHUCでリーダーシップをテーマに講演頂いたことがありました。そこで、その方は仕事の能力はもちろん、周囲に対するアンテナや人間的な器のようなことまで、女性は母親になることで別の生き物になるほどの大きなトランスフォーメーションを経験できていることを挙げて、「もっと母親がマネジメントに入れば組織が健全になる」ということを語ってくださいました。
またワーママの大先輩で同じく企業や教育界でリーダーとして活躍されている女性も、「母親の仕事とマネージャーの仕事は驚くほど似ている」という話をよくされてました。
もちろんお二人とも自身のマネージャーとしての経験をベースに母親の可能性について言及されていたものの、実像がつかめないまま、その言葉だけがずーっと私の心に答えのない問いとして埋まった状態でした。
というのも、私自身かつて大企業で働いた経験から、マネージャーと母親を両立できるのはほんの一握りのスーパーウーマンだけというイメージを持っていたから。
また、コーチとしてクラアントさんと関わる中で、母親という役割を負った女性たちが、社内の先輩や同僚の男性マネージャーたちの働き方を見ていて「あんな働き方はできないから、私にマネージャーは務まらない」と昇進のオファーに対して躊躇している姿を何度も見てきました。
さらにこの問いは、母親だけでなく、女性にマネージメントが務まるだろうかと物理的な制約で考えがちな世間の偏見や、育児に参加したいという気持ちはあっても周囲の理解が得られなかったり、求められてもなかなか積極的に踏み込むインセンティブがないと思い込んでいる父親たちにとっても大きな気づきになるのではないかという思いが浮かびました。
そんなわけで、私の心に埋まった「問い」に、自分のやってみたいことに対して仲間を得て行動することを教えてくれた一冊の本が契機になり【マネジメント研究会(マネ研)】という部活は生まれました。
部活動を通じて学んだこと
HUC内で立ち上げた【マネ研】は30人近い部員を有しています。「部員」と聞くと大げさなので、賛同者という名称が正しいかもしれません。
私はこの部活の目的として「よき母親 and/or よきマネージャーを目指す」ことを掲げました。上述の通り、私は現在組織で働いていないのでマネージャーという役職に就くことはありませんが、母親とマネージャーとして求められることの本質は同じだという意味において、職位としてのマネージャーという肩書は必要もなければ、垣根も作っていません。もちろん主婦だってよき母親を目指すという趣旨に賛同いただければ大歓迎です。
活動内容としては、1ケ月に1回、事前の問いをもって課題図書を読み、それをテーマにディスカッションをすることをしています。これまで6冊、様々な本を読んできました。
<扱った本リスト>
なお、このブックリストは私のオリジナルではなく、『人の気持ちが分かるリーダーになるための教室』という本から学ばせていただいています。著者の大岸良恵さんは私がこのテーマを考える最初の問いを与えてくれた方でもあります。
さて、これらの小説からインタビュー本まで幅広いジャンルの本を読んで、私たちメンバーがこの半年間語ってきたことについてお話します。
私たちは母親という役割で家族を支え、子供を育てるというミッションを負っています。一方組織の中では、リーダー側に立つ人もいれば、リードされる側に立つ人もいる中で、どのような力を身に着けたいか、ということについてまず語り合いました。
誰もが自分のフィルターで世界を見ている
私たちがまず手にするべき必要があるモノの見方は、自分にも、相手にも必ず思い込みがあるということでした。
私に見える世界は、私がそれまで育ってきたり、経験したことをベースに意味付けされて見えます。
例えば私は中国で仕事をしていた経験がありますが、日本人の私にとって行動の基本は「お天道様が見ている。悪いことをしたら罰が当たる」というもの。邪なことは考えないことが当たり前ですが、中国人の友人からしてみると「あなたは人を信じすぎる!」といつも心配されていました。彼らにとっては「だまされる方が悪い」からです。
人それぞれ価値観が違う。これは相手が外国人だと理解しやすいのですが、同じ日本人同士だと、誰もが自分と同じように思ったり感じていると思ってしまいがち。
夫婦間はもちろん、親子だって生まれた時代背景も違えば親も違うので、同じ事実に触れても感じることが本当に違っています。
ここで必要なのは無理やり相手に意見を合わせることではありません。それは大前提として、相手の背景を理解することと、合意することは違うため。情報を集めて、客観的事実は何か、そこに紛れ込んでいる価値観は何かということを聞き切るということがスタートラインになります。
注意したいのは似た者同士、同じ価値観の人の間の情報ではなく、あえて違う立場の意見の人の話を聞くこと。これには、「この人になら話しても大丈夫」というベースの信頼関係が必要です。
その人の真実に寄り添うことができたうえで、双方が歩み寄れる共通点を探し、帰着させる。「ダイバーシティ」という言葉を頻繁に聞くようになりましたが、違いは絶望ではなく、希望に変えられるという視点ではないでしょうか。
環境に影響されない、内的な拠り所を持つ
『夜と霧』は第二次世界大戦中のユダヤ人強制収容所を生き抜いた著者の体験が記されています。持ち物どころか名前すらも取り上げられ、絶望の中で多くの人が命を落としました。
もう二度とこのようなことは起こらないだろうと思っていましたが、残念ながら私たちは今日もウィグルやウクライナのニュースでそれを再び見ることになっています。
ウィグルやウクライナの人々が直面している現実には遠く及びませんが、私たちが学べるのは、人の尊厳は与えられた環境でいかに振る舞うか、というところにあるということ。
時代や環境は個人の力ではどうすることもできない巡り会わせですが、内面については私たちに与えられた自由です。人間の内面にまで他人がコントロールを及ぼすことはできません。
全てを取り上げコントロールすることは力をつかえば簡単にできます。ロシア軍が武器を使ってウクライナを恫喝する、母親として子供を管理する、職場で部下を管理するということはある意味簡単なのです。
でも、それでフォロワーはついてくるでしょうか?望む結果は得られるでしょうか?
内面の自由は絶望の中で心の拠り所に、希望の中でも未来を信じる原動力になります。
環境を作る側も、相手の内面を尊重することができれば、見返りは必要なくなります。
リーダーシップの根底は愛
リーダーシップと聞くと皆をひっぱる、カリスマ的な人物を想像してしまいがちですが、色々なスタイルのリーダーシップがあるはずです。
作業的に正しいことを正しくやるのであれば、早く走れるチームの方が有利。多分20世紀という時代や、戦後日本という環境はそれが通用したのだと思います。ただ、現代はVUCAの時代と呼ばれる先行きも、正しさもどんどん分からなくなってきている世の中です。
自分の価値観の枠の中で発想していることや、ある成功者のやり方を全員がマネすることもうまく機能しない可能性があります。
これからは目標に対して、自分が持っている強みを使ってどのように貢献できるか、それを一人一人が考えていくことが組織としての厚みと強さを増していくための唯一の方法ではないでしょうか。
これは自分が自ら率先するリーダーのもとでしか実現しない気がします。失敗すれば減点される、そんな教育で育っている私たちにはとても難しいチャレンジなのですが、ここは乗り越えていく必要がありそうです。
いくら「チャレンジは大切だよ」と言っても、「失敗ばかりして!」と怒っていては相手は混乱します。言葉は行動に移さなければ周りは信じることができないということを、母親という役割においては特に意識したいなと私は感じます。
人間はロジックで正しいと分かっても、心が納得しないと行動できません。どんなに気の利いたセリフを用意しても響かない相手もいれば、一言だけでも人生を変えるほどのインパクトを与えられる人もいます。親の一言ってとても大きいんですよね。
こういうと、元も子もないかもしれませんが、「何を言うか」、よりも結局のところ「誰が言うか」が一番大切なことなのだと思います。
だからこそ、私たちマネージメントx母親の軸で語る場合、母親という立場やマネージャーという役割で相手をコントロールするのではなく、自分を分かろうとしてくれる、率先して思いを行動で示そうとする、その努力を重ね続けることという結論になるのかもしれません。
相手の見返りではなく、内面に信頼を寄せることができればいいのです。出た芽を大きく育てるために必要なのは、ぐいぐい引っ張ったり、大きくなれ!花を咲かせろ!と叱咤することではありません。
よく日に当て、水や肥料を適切に与えながら、その芽の生きる力を信じるように見守ることではないでしょうか。
人を木に例えるのは『木のいのち木のこころ』でよく出ていましたが、これは人間理解を深めるのにはとてもいい比喩だと感じました。
母親とマネージメント
ということで、私たちの研鑽はこの会に出席したことで完了するものではありません。これまでのディスカッションをもとに、行動を変え、モノの見方を修正していくことが必要です。
この半年で得てきた考え方というのは、母親やマネージャーといった役割にとどまらない、人間理解という途方もない道のりにつながっていました。
もしかしたら生涯終わりのない旅を続ける必要があるのかもしれませんが、それを目指し続けることが私の内的な拠り所になりつつあることを感じています。
まずは私が成長することで恩恵を受ける半径5メートル以内の人たちのために行動することで、いずれ、その種がその先の半径5メートル、それを受け取った先の半径5メートルに広がることを想い、私は来年も子供と向き合い、コーチとしてクライアントさんと関わりたいと思っています。
マネージメント研究会はまだあと半年ほど続きます。
最初に与えられた質問への答えを、私なりにずっと問い続けてみて、また最後に振り返りとしてnoteで共有したいと思っています。
今回書いてみて改めて、書きたいことが多すぎることに気づきました💦マネ研の読書会は1冊につき夜の部と昼の部を各1回開催しているので、私の思いに加えて、メンバーから色々な意見や体験談が出ていて、これはもう毎回報告したほうがいいのかもしれません(笑)
ズボラなリーダーですが、ただ、こういう弱さを出せることが心理的安全性であり、人それぞれのペースが許容されるのがHUCの素晴らしさと言えるんですよね。
私にとっては、他人に対して自分をさらけ出していいんだ、という勇気というか図太さも母親になったからこそ、という一面かもしれません。
以前は恥ずかしいとか、迷惑だとか勝手に考えていましたが、困ったときは誰かが助けてくれる、というのも母親になって学んだ大切なこと。HUCのメンバーはいつも誰かがそんな手を差し伸べてくれます。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
そしていつも会に参加して、多くの気づきをくださるメンバーの皆様へ
ありがとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?