どこにでも転がっているようなはなし

 私の左腕には無数の白い線があって、それは10年以上前に躊躇ったたくさんの傷と、そこからまた5年くらいゆったりと躊躇いを繰り返した、そのすべての跡。その事実を消したいとも思わないし、この傷跡を綺麗になくすことなんてできないのだから、上手く付き合ってゆくしかないと分かっている。私が私に傷をつけた時間は、どうしたってそこにあって、死ぬまでなくならず、後悔できるほど消化できてもいない。今だって、精神的に未熟なままで、刃物で傷をつけることはなくても、身体的にも精神的にも、ひっそりばれないように、独りで自分を傷つけたりしたいる。そういう繰り返しで、色んなことを曖昧に紛らわせてゆく。

 私は、本当はひとりぼっちは寂しくって、誰かに一緒にいることや大切にすることを許されたいと思っているけれど、どうしてもこの左腕が、必死に隠し続ける左腕が、嘘をついて誠実さを欠いているようで、申し訳なくて、ずっと足踏みをするばかりだ。
 この傷跡だらけの左腕が、私の拗らせた面倒くささが、誰かにとっての地雷であることを知っている。だから、成人してもしばらく未通であったことや、経験が少なかったりすることを、ひたすらに恥ずかしく思い続けてしまうのだ。事実はいつだってそこに転がり続けているだけなのに。

 別に、この躊躇い傷を愛してほしいだなんて思っていない。認めてほしいとも思っていない。ただ、なんでもない、転んでできた傷跡のように、おかしくない傷跡のひとつとして、なんでもないような顔で接してほしいだけだ。

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