だってもう、誰も守ってくれない。

 ぎざぎざになった爪先に、赤いマニキュアを塗った。安っぽい赤が、ぬめぬめと光って、終わった春のようだった。最初から何もなかったと思うには不自然で、けれどそこに同情や打算以外の感情があったかと問われれば、甚だ疑問だった。売ってしまった春は二度と戻らず、夏にもならない。ひたすらにひたすらに、同じ場所に留まって、漂うだけだった。
『凪ちゃん、体調大丈夫?』
通知音が鳴って、メッセージが届いた。
『うん。だいぶ落ち着いてきた。ありがとう。』
『よかった。また、近いうちに遊ぼうね。ゆっくり休んでね。』
最後に一緒に撮った写真も、同時に送信されていた。
『ありがと。引っ越しが終わって落ち着いたら、またお茶でもしようね。写真もありがとう。』
そうしてまた、私は嘘を吐いて、爪を噛んだ。乾きかけたマニキュアが、べっとりと唇に付いて、不快感でいっぱいになった。私はもう春を終わらせていたし、たとえ残っていたとしても、それを彼女にはあげないと、そう決めていた。


 彼女とは、春を過ごす間、ずっと一緒にいた。他者から見れば、彼女の一方的にも見える寄りかかりは、私からすれば共依存で、ひとりぼっちにならないための手段だった。依存され続けるために、望まれるなら煙草を吸い、歌を書いた。彼女にとっての一時の依存先であった自分に、ただただ存在意義を見出していただけだったのだ。けれど、そういう幼稚さが永遠に続くわけもなく、自我を持った彼女は、また別の場所で居場所を見つけ、依存を分散させることを覚えていた。そうして彼女が私を必要としなくなった後、私はひたすらにひとりで背筋を伸ばしながら過ごしていた。時間だけが色んなものを曖昧にしていって、それでも、過ぎたものを思う痛みだけが、私の中に残酷なほど残り続けていた。

 高校生最後の日、彼女が私を呼び止めた。
「凪ちゃん、就職するって本当…?」
既にずっと前から周知の事実であって、わざわざ私に確認をする必要もなければ、いつでも聞けたはずのことだった。でも、今日しか聞けなかったのだろう。それほどまでに、私は彼女の隣に寄り付かなくなっていた。
「うん。寮のあるところで働くの。」
「遠くへ行くの?」
「車で三時間くらいのところかな。電車だとちょっと行きづらいとこ。」
大学に行って勉強したい気持ちがないわけではなかったが、それよりも自身で生産性を持って、家を出てゆく方がよほど重要だった。ただ、それだけの話だった。けれど、私のそれを彼女は何だか勘違いしたようで、動揺したように瞳を揺らした。わなわなと唇が震えている。
「凪ちゃん、ごめんね。あんなに、一緒に居て、くれて、ずっと優しかった、のに。今でも、ずっと、優しいのに。私、それを踏みにじった。」
声を震わせながら泣くのを我慢しているようだった。それは自惚れと傲慢さの表れで、許しを請うようだった。
「謝られるようなことなんて、何もないよ。今日までいっぱいありがとうね。」
「ごめん、ごめん、ね。ありが、と。」
彼女が私の身体をそのままぎゅっと抱き締めて、
「これからも、また、会ってね。」
と言った。
「うん。もちろん。」
背中に手を回して、そう返せば、彼女は憑き物が落ちたかのように声を上げずに泣いていた。私は嘘を吐いた。じくじくと痛む鳩尾に知らんぷりをしながら、彼女の背中をさすり続けた。しばらくして、彼女の涙が落ち着いたころ、一緒に写真を撮った。きっとそこには、曖昧に笑う私が写っていたに違いない。
「また後でね、凪ちゃん。」
手を振って、別のクラスメイトのところへゆく彼女を見送りながら、私はもう二度とこの子に会うことはないのだろうと思った。だって最初から、私の中には許すも許さないもなくって、謝罪されるようなことも何もなかった。ただただ、道が交わらなくなって、時間が全てを擦れさせていった。それだけのことだった。
 結局、クラスの打ち上げを体調不良を理由に欠席して、私は私の春を無理やり終わらせた。鳩尾がひどく痛んだままだった。



 衣類と身の回りの品だけまとめて、宅配便で送った。その夜、帰宅した母に、明後日出てゆくことを告げた。
「そう。身体に気を付けて。」
一度こちらに目を向けて、靴を脱ぎながらそう答えた。
「夕飯、置いてあるから、温めて食べて。鍋の中にシチューもあるから、よければ。」
「ありがとう。」
その晩父には会えず、結局翌朝伝えたが、返事は母と大差ないものだった。


 「お世話になりました。」
家に一礼をして、鍵をかけた。父も母も仕事で、見送りはない。放任されていたであろう子育ての、愛情のなさがうかがえる結末だと思った。別段何か不自由していたわけではなかった。興味を持たれていないことに虚しさを覚えた日もあったが、衣食住が確保されているのだから満足じゃないかというところに、結果的に落ち着いた。可愛げはとうの昔に死んでいて、自分が義務感とリスクヘッジの果ての存在だと、分かっていた。大学に行こうが行くまいが、彼らは私が最終的に生計を立てさえすればいいのだと気づいた。だって、今手の中にある、予想しうる限りの私たちの不安の大半は、どうみたってお金さえあれば解決するからだ。
 価値観と倫理観は、育ってきた世界によってすべて決まってしまっている。そして、ある程度固まってしまった後に根本的に変えることなどできない。後から救われることも、誰かが劇的に変えてくれることも、余程の幸運がない限り不可能だ。私には、残念ながらそういう幸運がなかった。それだけの話だった。指先を見れば、歪んだ爪に、安っぽい赤が鮮やかに残っていた。


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