「昭和少年事件帳⑩」洞窟ギョンの穴でおきた最初の事件!
(はじめに)これは、私が青少年期を過ごした昭和時代の話です。
同じ時代を生きた皆さんをはじめ昭和をご存じない世代の皆さんにも楽しんでいただければ幸いです・・では、事件の始まりです。
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私の生まれた町に「ギョンの穴」と呼ばれている洞窟がありました。
正式には祇園の穴で、祇園(ギョン)とはその洞窟にまつられていた神社の愛称だそうです。
思い起こせば入口辺りに小さな石仏か祠(ほこら)みたいなモノが立っていたような記憶があります。
私が穴の存在を知ったのは小学5年の時で洞窟近くに住んでいた友人から聞かされたのですが、その時の興奮は今でもハッキリ覚えています。
何しろ、遊び場といったら山と川だけだったところに洞窟という未知の世界が拓けた訳で、私にとってはTDLかUSJ並みの新アトラクションの登場です(笑)
そんな天然洞窟でなにが行われていたのかと言いますと、そこは地元小学生男児の度胸試しスポットでした。
入口はやや広いモノのその先は極端に狭くなり、当然ですが真っ暗です。
懐中電灯を片手に進むのですが、立って歩ける距離はほんの僅かで後は腹ばいにならないと通れません。
つまり小学生体型でなければ、そもそも先に進めないんです。
穴は途中から左右2つに分かれていますが、右側の奥は行き止まりで左側の穴を潜り抜けた先は大きな空洞になっておりその上部に窓のような通気口が空いています。
ただし、この通気口は頭上3mほどの高い位置にあるため光は入るものの人は出入りできず、穴から出るには来た道を入口側に戻るしかありません。
真っ暗な上に上下を大きな岩肌に挟まれ押しつぶされそうな圧迫感の中、コウモリとゲジゲジのねぐらを進むのですから、チャレンジした子供のうち通り抜けできたのは半数にも満たなかったと思います。
私は?探検とか危険とか・・聞くだけでワクワクするような子だったので、恐怖心よりも好奇心が勝って難なく通り抜けました。
では、初めて穴に入った日のことを思い起こしてみます。
通り抜け経験のある友人に連れられて穴の前までやってきました。
その友人以外に経験者がいたかどうかは覚えていませんが、穴の前に集まったのは全員で7~8人だったかと思います。
ですが、入口の段階で辞退者が相次ぎ、結局中に入ったのは私を含め4人だけでした。
通気口のある空洞まで大した距離ではないのですが、這って進むため途轍もなく長く感じます。
ようやく通気口の下まで辿り着くと、頭上から差し込む光が神々しく・・達成感でテンションが上がります。
やっとの思いで着いたのですから急いで戻る気なんてありません、車座になって勇気ある男同士の会話が弾みます。
暫く経って、そのうちの一人が私に向かって言いました。
“おまえ、クラスの女子で誰が一番好きなんや?この中でしゃべったことないのおまえだけやろ?”
“一緒にギョンの穴に入った仲やろ~誰にも言わんから教えろよ”
でました~当時の小学男子アルアルの「男だけのここだけ」の話です(笑)
確かに私は・・好きな子がいたのにもかかわらずこれまで何度聞かれてもしゃべったことがありません。
それには理由があって、その子(チヨコちゃん)に他の男子の注目が集まるのを避けたかったのです。
チヨコちゃんは大人しく物静かな子ですが、南国宮崎生まれにしては珍しく色白で切れ長の目をしていました。
若干、虚弱体質で体育の授業を度々見学しているような子です。
当時男子に人気のあった女子は明るく元気で目立つタイプの子が中心だったので、チヨコちゃん関心を示す男子はいませんでした。
ですが、私には確信がありました!チヨコちゃんは将来絶対このクラスで一番の美人になる!でもそのことを誰にも知られたくないし教えたくない!
コレが、名前を明かさなかった真の理由です(笑)
ですが、この日はこのまま黙って押し通せる雰囲気ではありません。
どうしたものかなぁ? と、その時、妙案が浮かびました。
全くの偶然ですが、この時穴にいた3人が共に同じ女の子を好きだったことに気付いたのです。
その子(ナツミちゃん)はクラスで一番頭が良く、容姿も申し分ない子でした。
そこで咄嗟に「俺もおまえ達と一緒よ。ナツミが一番いいと思ってる。」と言ったのです。
“え~っ!”3人一様に驚いています。
“そうか~ 俺たち仲間かぁ~”
ふっ、単純なヤツらだ、引っ掛かったな・・我ながら完璧なダミー(隠れ蓑)を見つけと思いました。
ところが、この嘘がとんでもない事態に発展します、それがこの事件の核心です。
話は翌日に移ります、勇気ある男達の仲間入りを果たし、同席メンバーからの追求も機転を利かせてかわしたことで意気揚々と学校に向かったのですが、教室が何やらザワついています。
私が教室の扉を開けて入った途端・・ヒュー~ヒュー~って歓声が上がりました。
ん?今日は何か特別な日だっけ??
教室を見渡すと、親友の一人が黒板の方を指さしています。
振り返って見て唖然としました・・そこには大きな相合い傘に私とナツミちゃんの名前が書かれていたのです・・
毎日遅刻ギリギリにしか登校していなかったことが傷口を広くしました。
なにしろ、私より遅く来るのは先生ぐらいなので、クラス全員に見られました。
慌てて黒板に向かい相合い傘を消していると、一人の女の子が近づいてきて大きな声で言いました。
“ナツミは、あんたのこと何とも思ってないんだって!”
・・それって・・今、大声で言う必要ある?
教室が一瞬静まりかえり、誰かがポツリと呟きました“あ~ぁ、アッいう間に振られちゃったぁ~” 次の瞬間、教室がどっと湧いたのは言うまでもありません。
この日は1日中、居心地が悪いの何のって・・休み時間の度に慰めに来るお節介はいるし、昨日の3人は代わる代わるにやってきて無実を訴えるし・・
何が無実だ!って怒り心頭ですが、こちらとしてもあの話は嘘だったとは言えません。
でも考えてみると、相合い傘の相手にされたナツミちゃんの方はとんだとばっちりだし、黒板を消すことも許されず長い時間恥ずかしい思いをしていたんでしょうね・・私とはそれ以降、目も合わさなくなりました。
いやそれよりも一番の問題は、チヨコちゃんです・・他の全員に誤解されても良いけどチヨコちゃんの誤解だけは解いておきたいと言うのが正直な気持ちです。
その日の放課後、勇気を振り絞ってチヨコちゃんを呼び止めました。
「俺がホントに大事に思ってるのは、あんたの方だから」あえて名前を出さなかってけど、我ながらしっかり伝えたなと思ったのですが・・
“はぁ~っ?ナツミちゃんに振られたからって、次は私ってこと?馬鹿にせんでよ!”
えっ?・・いやいやそうじゃなくて・・
そうです、この日私は、好きでも嫌いでもなかった子と好きだった子の2人から振られるという悲劇を味わったのです。
この事件はコレで終わりなんですが、それから10年後忘れられない出来事がありました。
その当時、私は宮崎市内にあった職場の独身寮に住んでいます。
いつものように朝刊を開くと、トップ記事は今年のミスシャンシャン馬が決定したというモノです。
ミスシャンシャン馬とは、当時宮崎県で最も権威(?)のあったミスコンテストで、その選抜者は年に1回開催される宮崎神宮大祭(通称神武(じんむ)さま)の御神幸行列を彩る祭りの花形でした。
現在は、市内の各老舗企業の推薦者(従業員)がミスシャンシャン馬を務めていますが、当時はもの凄い倍率の中から選ばれる美人さがしの一大イベントだったのです。
世間の注目度も高かったので地元紙の一面を飾るのは当然なのですが、私の目に留まったのは、その選抜者の中の1人です。
それが、小学5年の時に同じクラスだった、あのチヨコちゃんだったのです!
いや~びっくりです、チヨコちゃんはクラス一どころか町一番の美人に成長していたのです。
ワタクシ、当然のように御神幸行列を見に行きました。
チヨコちゃんは、ホントにうっとりするほど綺麗でした~そして、「見ろオレの目に狂いはなかった!」と一人でガッツポーズしました。
では、その後何か進展があったのか?・・何もありません、目に狂いはなかったけど、嘘で狂った人生の歯車は二度と元に戻ることはないのです・・・