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蜩の幻聴

【療養日記2023 9月21日(木)】

 今年の夏は言うまでもなくこれまでで一番暑い夏だったと思う。療養生活でなくても極力エアコンの効いた部屋にいただろうし、熱中症にも人一倍気をつけていたと思う。きっと職業柄毎日WBGT計を見ては熱中症情報をチェックしていたことだろう。

 この夏を振り返る機会を最近になって見つけたと思う。それは日の長さ、影の長さだ。どんなに気温が上がってみても日の出日の入りの時間は変えられない。しかし先日テレビで芸人だかタレントだかが、

🤖最近やっと夜になるのが早くなってきた。


 と言っていたがそれは当たり前だ。しかし「今年は暑かったので最近になってやっと夜が早くなって来た。」とでも言いたげなことを言っていたのには呆れる。アレは本当に気温が夜の長さに影響を及ばしていると思っているに違いない。

 これに最近は蝉の声が加わる。流石に蝉の声は日の長さとは違って暑ければ多少は長い間耳にするものだがそれも聞こえなくなった。と言うか今年は蝉の声弱かったなと感じているのは自分だけだろうか。

 特に外出もしないのでそのように感じてもおかしくないだろうけど、果たしてそれだけなのだろうか、そうでないような気もしてならない。特に夕方耳にするひぐらしの声は今年はほとんど聞けなかった。

 病気をする以前、夏ともなると旅に出ていたが日中でも日影の深い場所からは蜩の声が聞こえてきたものだし、泊まった宿で早朝から蜩が鳴いていたなんて事はよくある事だった。

 他の蝉と違って蜩は薄暗い場所で活発になる。なので日の出前と夕方は他の蝉は鳴かなくても蜩は鳴いているものだ。そして薄暗い場所なら日中でも鳴く。とにかく蜩は夏中鳴いていた。蝉の初鳴きが蜩の声だった事も何度となくあったし、9月になって他の蝉は大人しくなっても蜩の声はよく聞くものだ。

 しかし今年はそれも少なかったように思える。蜩だけではなく他の蝉もそうだ。ただでさえ横浜では耳にしないクマゼミの声なんて今年は数えるくらいしか聞いていない。

 日中はテレビを見ない代わりにYouTubeで蝉の鳴き声を流してラジオを聴いていることが多くなった。しかしこうして家の中で過ごしている間も外ではそんなに蝉が鳴いていなかったような気もする。ウォーキングで必ず毎日外に出ていてもひっくり返っている蝉を見た回数はそんなに多くなかった気もする。


 …もしかして蝉も蚊と同じで暑すぎると活動を止めるのだろうか。


 今こうして蝉の声が弱々しくなったのをみても秋はゆっくりやっては来ていることを知る。

 この夏はこうして人工的に蝉の声を耳にし、夕方は当然のこと何時間も蜩の大合唱を毎日聞いてはいたが外では異変があった事も見逃してはいない。今、夕方ともなると虫の声が聞こえてくる。こちらは例年と変わらないと思うが、昔はもっと種類が豊富でいろんな声があったと思う。殊更我が家の周辺は轡虫くつわむしが多かったのに今では全く声を耳にしなくなった。轡虫の声なんて子供の頃は当たり前だったのに、いつからいなくなってしまったのだろう。

 嫌だと思いながらも、環境が変わっている事にはこれ以上目を逸らせられない。もっと多くの虫の声が、日中はもっとうるさい蝉の声が響いていたあの頃、それらの音と我々の記憶はもっと密接に繋がっていたはずだ。それがちょっと今年は弱いような気がする。

 蚊がおとなしくなったって海に行くと梅雨前からカツオノエボシが大量に打ち上げられている。そんな環境の変化は誰も望んでいない。虫の声が弱くなるくらいなら多少は蚊に刺されたって蝉の鳴き声が元気な方が夏の思い出になっていい。そんな蚊でさえ今年は弱い。

 夏の日中暑すぎて人はおろかわんこも外を歩かせるわけにはいかない。赤ちゃんをベビーカーに乗せて歩く事も今では危険なことだ。来る日も来る日も熱中症で人が倒れ、昔は気にする事のなかったWBGTにも気をつけなければいけない。見た事もない台風が次々と押し寄せ、線状降水帯が当たり前のようにくじ引きみたいに選んだ場所を容赦なく洗い流す。狂った自然の猛威を目の前に我々は無力感に打ちひしがれている。夏はいつしか恐ろしい季節になった。たとえ直接被害に遭わなくても日々の暑さで確実に疲弊する。この時期は誰もが疲れ切った状態になっている。

 鰻が食べられない初夏を、秋刀魚が食べられない秋を誰が待っているのだろう。漁師の網にかかるのはクラゲばかりの季節を誰が待っていたのだろう。餌の不作で人里に下りてくる熊を両手を上げては歓迎できない。そんな環境にいつからなっていたのだろう。今年の夏を振り返るとおかしな事が多すぎるような気がしてならない。

 ようやく落ち着き始めた猛暑を振り返りながら今年の蜩は幻聴だった事に戸惑う。かつての優しかった夏ももう幻の事なのだろうか■


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