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ちょっとだけ前向きな言葉(163・164)

●同じ度合いの事でも人によっては何とも感じなければ別の人にとっては致命的な痛手になることもある。相手の立場になって考えられるといい。

 一つの出来事がある人にとっては何とも感じられないが、別の人にとっては非常に深刻な打撃や痛手になることもある。

 我々は皆、個々に独自の経験や価値観を持っている。そのため、同じ出来事でも、それが私たちに与える影響や感じ方は異なることが往々にしてあるものだ。

 相手の立場になって考えることは、他人の感情や経験を尊重し、共感することの重要性を示している。自分が経験していない状況や感情に対しても、相手の立場を理解しようと努力することで、より良いコミュニケーションや関係を築くことができるはずだ。

 例えば、一人にとっては些細な批判や冷たい態度でも、他の人にとっては心の傷や自信喪失につながる恐れも否めない。同様に、一つの失敗や挫折は、ある者にとっては単なる一時的な障害だがまたある者にとっては人生の大きな転機になる可能性もある。

時に自分の言葉を自分に当ててみて他人を傷つけていないか反省することも重要

 自分が感じる「取るに足らぬこと」が果たして他の人にも同じような取るに足らぬことなのかどうか、たまには全く違う視点から見つめてみる必要もありそうだ。


●言語で人と繋がるのが人間なら、その言語は綺麗で正しくあるべきだろう。

 言語は、人々が意思疎通を図るための重要な手段である。我々は言葉を使って考えや感情を伝え、他の人とのコミュニケーションを行う。言葉は人と人との関係を築き、理解を深めるための重要な道具の一つとも言える。

 言葉が美しく正確であることは、コミュニケーションの効果や効率を高めるだけでなく、相手に対して敬意を示す一環でもある。

 言語が美しいということは、言葉遣いの丁寧さだけを単に述べるのではなく適切な文法や語彙を使用し、明瞭で分かりやすい表現をすることを意味する。また、正確性とは、意図したメッセージを正確に伝えることや、誤解を避けるために正確な情報を提供することを指す。

所作や言葉の丁寧な人はそれだけで評価が高い

 ただし、美しさや正確さは文化や言語のバリエーションによって異なる場合もある。言語は文化や環境によって形成されるため、美しさや正確さの基準は絶対的ではなく、相対的な要素も含まれることを理解する必要がある。

 大体において言語は三次元的な「方言」から成立し、そこから最も適した場所を探すことが適切な言葉遣いの指標となるものである。

 その要素は「地域」「社会」「年代」の三要素でこれらを言語学的には「方言」と呼ぶ。例えば地域によって言葉が違うことは「方言」という言葉もあるのでわかると思う。「社会」的な地位によって言葉遣いも違う。社会的という言葉には語弊もあると思われるが、どちらかといえば一種の言葉遣いに対して排他的になるかどうかの要素が強い。例えば言葉を生業をする職業では言葉遣いにより神経を使う。そういった地位にいるかいないかによって日頃から使う言葉が変わり、先述の「地域」のベクトルと相関して平面的な分布が形成される。

 また職種による専門用語、職場環境による発生の違いも方言の一種だ。例えばうるさい環境では声は大きくなりがちだし、寒い環境では言葉数は減る。

 残り一つの「年代」はその年代に相応しい言葉遣いとその年代が若かった頃の流行り言葉が一つの「方言」としての要素となる。前述の「地域」「社会」と相関し立体的な座標で位置付けができる。これが言語学的にいうところの「方言」であり、この立体的座標の中から自分にふさわしい言葉、相手にふさわしい言葉を的確に見つけ出せるかどうかは個々の言語的センスの問題でもある■

※参照資料 David Crystal "Linguistics"


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