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ちょっとだけ前向きな言葉(137・138)

●平気で歩きスマホをするような人間にはなりたくない。偶然を悉く見逃してしまうし敵も作りやすい。自らそんな存在になる必要はない。

 まず最初に書くが僕は日頃から杖をついて歩いている。杖をついて歩いていると向こうから歩きスマホで向かってくる人は恐怖だし、衝突を避けるために杖の柄で防御の体制を取ることもある。

 歩きスマホという行為が周りの環境や人々に対して無関心すぎであることをもっと認識すべきでそれすらもできないのだったらもう街に出てこないでいいぜと思うことも多々ある。杖を両手に持つので自分は歩きスマホは絶対にできないから歩きスマホも絶対にやらないと堂々と宣言できる。

 これは社会的に歩きスマホに対する危険性を指摘する際に何が危険なのかという具体例で指摘されることだが、もう一つ歩きスマホには非対人的なネガティヴ要因がある。それはスマホに集中しすぎることで、大切なことを見逃し、周りの人々との関係を希薄にしてしまう可能性だ。

 自分自身が周りの環境や人々とのつながりを大切にし、積極的に行動することで、より良い人生を送る可能性にも触れていると思うし、とにかく歩きスマホというのは良いことがまるでない。あえてそんな嫌われ者になるなんて馬鹿馬鹿しいとは思わないのだろうか。

●よく奢ってくれる人には気をつけろ。そこに必ず下心がある。もっと自然な人間関係を心がけたいもの。


 人に物を奢る時、真っ当な理由もあるはずでそう言った場合は大抵は一つの原因に対して一度だけなら奢ってもらっても良いかと思うし、自分も一度だけなら奢ってもいいかと思うものである。ただし一度だ。次に奢る時には全く別の理由が必要だ。

 つまり、奢るという行為はそれだけでは不自然で簡単に人との優劣関係が生じる。人によって「そんなつもりはないのに」と思う者と、厄介なのがそれに託けて優劣関係を築き相手を思うようにしようという恣意を持った者の両者がいる事だ。

 こういう関係の下で人を利用するのは誠実とは言えないし、利用される側も愚鈍だと言わざるを得ない。もし周囲によく奢ってくれる人がいたら相手には申し訳ないが一度疑って見た方が良いと思う◾️


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