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ちょっとだけ前向きな言葉(215・216)

●バカに付和雷同する輩も同じくらいバカ。バカはバカに担がれバカ同士満足させ合って終わる。誰に聞く耳を持つかは自分の器の問題。


 特定の人々が他人の意見や行動を簡単に受け入れて同調することは、それ自体が賢明な行動ではないし、他人の行動を真似することが、結果的に自分自身を損なうことにもなる。

 他人の意見や行動を疑わずに受け入れて同調することは、自分自身の判断力や考える力を欠いていることの顕れだ。ただ他人に従うことだけを重視する人々も、同じように賢明でない行動を取っているように見えてくる。そこに自律的な行いが全くない。

 考えもせずに同じような行動をとる人々が集まると互いに相手の考えを支持し合っているだけで、何の成長も得ることができない。それが続けば、結局は何も得ずに終わる。

同調圧力に負けず自我を通すことはとても難しい

 他人の意見や助言を受け入れるかどうかは、自分自身の受け入れる能力や判断力に関わる重要な問題である。自分の成熟度や洞察力に合った意見を選んで受け入れることが、より賢明な選択である。しかし人は往々にして周囲の雰囲気に流されてしまうものだ。だからこそなお一層自我を常に持ち続ける必要がある。愚かしい集団心理は時として社会に悪影響を及ぼし、人をも殺しかねないことだ。

 単に他人に追随するだけでなく、考え抜いて自分なりの意見を形成することが大切ではないだろうか。また、他人の意見を受け入れる際にも、その意見が自分の成長や発展に資するものであるかを見極めることが大切だ。

●千里の道も一歩から」が重く感じるのなら「豪勢なご馳走も最初の一口から」と考えれば楽でしょう。基本は同じことです。

「千里の道も一歩から」という諺は韓国では「豪勢なご馳走も最初の一口から」と表現するらしい。本来なら同じ意味の諺なのだろうが、その伝わり方がまるで違うことに気づく。

 どちらも長い目で見ることの難しさや大きな目標を達成する際の困難さに対して、小さな一歩や最初の行動から始めることの重要性を示す諺である。そして往々にしてこのようなシチュエーションは同じ原則が異なる状況にも通じている。

 「千里の道も一歩から」という表現には大きな目標や長い道のりなどのイメージが先行するため、最初から大きな目標は大変なことだと印象づけられる。

同じように目標に向かうのなら楽しいプロセスを経て到達したいものだ

 一方で「豪勢なご馳走も最初の一口から」という表現では目の前の豊かなものも最初から楽しむことができるということを説明し、前者のような大変なイメージが和らぐ。同じシチュエーションでも例え方を変えればこれだけ受け取り方も変わってくるものだ。これは、目標や課題だけでなく、生活の中の楽しみも、最初から楽しむことが重要であるというヒントにもなりうることではないだろうか。

 どんなに大きな目標や課題があっても、最初の一歩から始めることで進展ができる。同様に、どんなに素晴らしい体験や楽しみがあっても、考え方ひとつ変えることによってその根幹には最初から楽しみがある可能性を物語っている■

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